« 今日の晩飯’06 80日目 | トップページ | 今日の晩飯’06 81~83日目 »

2006.03.21

『お菓子放浪記』 西村滋著 by 頑固な文庫読者

西村滋〔著〕: お菓子放浪記

 本当のこと、本当のモノ。きっとある。

 この本のタイトルを見た瞬間、昔見たドラマの1シーンがすぐに浮かんできた。

 戦争の影響が濃い中、
 「お菓子あります」
 と掲げられた喫茶店に入り注文すると、紅茶とともに運ばれてきたのは「にんじん」だった。

 お菓子に恋い焦がれ、甘みに飢えた生活の中、ホンモノと思い期待していたモノがニセモノだったときの怒り。それは、オトナの世界に渦巻く汚さの象徴。
 主人公のシゲルは、本当のことと偽物のなかでもがき苦しむ。唯一とも言える感化院の富永先生の言葉を心の拠り所として。

 幼くして孤独の中にあり、大人にも負けぬよう生きていかなければならぬ日々には、たったひとつの強い思いが必要だ。それがお菓子であって何が悪い。何かが無くてはやっていけないことは、この物語を読まなくたって分かる。

 お菓子が光であることは、子供だからなのかもしれない。
 だけど、無条件で嬉しく、おいしく、心を満たしてくれる共通の存在は他にあるのだろうか。大人になれば、それは形を変えてしまうこともあるだろう。大きさを変えてしまうこともあるだろう。

 求める心が強ければ、叶わぬときの辛さが身にしみる。辛さを知ることは生きていくすべに力を込めることであり、同じ思いを持つ人々とのことを知ることでもある。

 富永先生はこう言う。
 「キミがお菓子になればいいのよ」

 このことにさえ気がつけば、こんな世の中にならずに済んだのかもしれない。
 今必要なのは、自分がお菓子になる方法を模索すること。誰もが誰かのお菓子になれるし、幸せのタネになることができるのだ。

 自分が何をしているのかを見失っているとき、ヒントにつながる何かが分かる物語。


『お菓子放浪記』
西村滋著
文庫 ISBN4-06-275141-0
本体695円+税

|

« 今日の晩飯’06 80日目 | トップページ | 今日の晩飯’06 81~83日目 »

コメント

せっかくのみそがいさんの名文に私のダサいコメントを書くのはいささか恐れ入ってしまうのですが、考えてしまいましたね。私は誰かのお菓子になれているのかって。
あっ!じゃが芋あっしもピーラー使っているのです。

投稿: こぶママ | 2006.03.23 22:56

この本、文庫になったのは最近ですが、30年前に単行本として出たようです。その後すぐにTVドラマ化されたようで、それを見た記憶があります(歳がばれる(笑))
(にんじんの話しだけははっきりと覚えてます)

読みながら、目頭が熱くなること度々。

いまだったら、こういう話は本やドラマには見向きもされないのかもしれませんし、「お菓子になればいい」なんてセリフはストレートすぎてなおさら。
ひねたドラマが多いですから(笑)

でも、分かるんですよね、言いたいこと。


やっぱ、ピーラーですか。
包丁、まな板、鍋、フライパン、菜箸の次によく使う道具です、あっしは。

投稿: みそがい | 2006.03.26 00:23

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/4338/9195729

この記事へのトラックバック一覧です: 『お菓子放浪記』 西村滋著 by 頑固な文庫読者:

« 今日の晩飯’06 80日目 | トップページ | 今日の晩飯’06 81~83日目 »