『フェルメールからのラブレター展』を観る
10日はたまたま会社が休みだったので、東京に出て絵画鑑賞。
フェルメール、です。
フェルメールというと、あっしは「真珠の耳飾りの少女」くらいしか知らなかったけど。
最近では「地理学者」が観られましたっけ。
って、それ、今回の場所と同じ、Bunkamuraだったんだ。
その時はぜんぜん観る気もおきなかったけどなぁ。
今回の展覧会では、フェルメールの作品が3点。
いずれも「手紙」をキーワードとしている。
「手紙を読む青衣の女」
「手紙を書く女」
「手紙を書く女と召使い」
なかでも、「手紙を読む青衣の女」は、鮮やかな青が印象的。
細かいところでは、椅子の背もたれや座面の青い生地を留めている鋲の光りかたなども。
そんなことが気になって、手紙がどんなものか、その手紙によって青衣の女がどんな感情の変化を引き起こしたのか、なんてことを考えることができませんでした(笑)
ひとつ気になったのは「手紙を書く女と召使い」。
手紙を書いている女の脇で、召使いの女は日が入ってくる窓の外に目をやっている。
当時、オランダでは識字率が高かったらしいけど、はたしてこの召使いは字が読めたのだろうか。
女の書く手紙の内容には興味がなかったのだろうか。
なんてね。
もっとも、他人の手紙を盗み見るような不作法なことを絵としてしまうことはありえないし。
ただ、女と召使いの身分の差というか、手紙を書くこと自体で表す生活水準というか、そんなことも示しているのではないかと、この絵を観ながら思考回路がそっちに流れてしまった(笑)
それにしても。
毎回思うのだが、人物が主題の絵の周りに配されるモノが暗示していること、って、あっしのような知識の乏しい人間にとっては、面白さの半分以上に気がついていないんだろうなぁ、なんて。
例えば、人物画の中に、書物や地球儀、楽器などがあると、それはそれぞれ意味があって、その人物の人柄や地位や生活の質を示しているのだと。
はぁそうですか。
確かに、そう言われてみればそうでしょう。
だけどなぁ。
そういう暗示にどこまで気がつけるか、発見できるか、なんて絵の見方をするのは面倒だなぁ、なんて思ってしまうのですよ。
あっはっは。
まだまだだね。

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