『須田国太郎展 没後50年に顧みる』 (茨城県近代美術館) を観る

水戸芸術館を出て、茨城県近代美術館に到着するまでは、10分もかからないくらいだっただろうか。
絵を見るために自転車でここに来るのは初めてなので、まずは駐輪場を探す。
ちょっと迷ったが、正面入口へ行く階段の脇、つまり地下の入口の手前にあります。ちょうど階段が張り出している部分が屋根の代わりになっています。(この日はにわか雨があり、結果的にはこの屋根のおかげで自転車が濡れずに済みました)
さて。
須田国太郎。
しらない。しらない。
パンフレットにある絵も、どれ一つ見たことがない。
しかも、絵柄が重たい。
こりゃ、あっしの趣味というか、好きになれる絵ではないなぁ、というのが展示フロアに入る前の印象。
実際に見始めると…。
やっぱり、重たい。
黒、茶色、黄土色、濃緑、といった色が溢れていて、しかも、写実的ではない風景画などが多く、見ていて疲れてしまう。
例えば「夏の朝」「夏の午後」というタイトルの作品があるのだが、こういう色調なのであっしの中にある「夏」のイメージからかけ離れていて、頭が拒否反応を起こしそうだった。
しかも、「冬」というタイトルの作品が別にあって、それが「夏の~」の絵とそんなに違わなく見えるので混乱する。
これらの作品は、どんなタイトルを付けても同じような印象なのだ。
あぁ、これは失敗か。
と思いつつ会場を進んでいくと、突如、といっていいくらい劇的に色調が変化する作品が出てくる。
色調といっても、原色が多いとか、パステル色ということではなく、これまでの重たい色使いの中に「白い」部分が効果的に使われてくるのだ。
ただそれだけなのに、絵全体が軽みを帯びて、俄然、絵が動き出す感じがしてくる。
この段階で、「あ、こりゃ、やったね(笑)」という感じ。
あっしは、別に全ての作品にそれぞれ好意を持つつもりもないし(それが可能な作品ばかりならば嬉しいが)、どうでもよく感じる作品があったって、それはそれ。
一つの会場で、何点か気持ちを揺るがすような作品が見つかれば、それでいいのである。
いや、そういった作品が無くても、極論すれば、前向きな雰囲気が読み取れるだけだっていいのである。
ホントのことを言えば、年間パスポートを持っていなければ多分来なかったしね。
逆に、ホンの1~2時間で、その人のびっくりするような画風の変化が感じられただけでも大大大収穫。
こういうのが個人の作品だけを扱う展示の楽しみ方なのかもしれません。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。

コメント