『奇っ怪紳士!怪獣博士!大伴昌司の大図解展』(弥生美術館)を観る

あっしが小さい頃は特撮モノの番組が沢山あって、いくつかの番組を毎週見ながらワクワクしていたものです。
さらに、子供向け雑誌では、そういった番組の解説コラムなんかが掲載されているのを読んで、疑問点の解決というか、補強する情報を得るというか。まぁ、メディアミックスの一種だったんでしょうねぇ。
今回の展示内容は、ウルトラQ、ウルトラマンをはじめとする怪獣特撮モノが最初の山場となる。
実際のところ、これらの番組をリアルタイムで見ていないため(再放送で見ている)、雑誌の図解なんかは見た記憶が無いけど、あらためて見ると、疑問が倍増する(笑)
思考の癖として、疑問点が何らかの形で解決すると、その疑問自体が確固たる真実として脳味噌に定着してしまうんですよね。さらには、情報を受けるのが子供だから、科学的な裏付けはあやふやで、新しい言葉や不思議な命名であってもそれはそういうものとして取り込んでしまう。
もちろん、それらの図解や情報を作り出す側は、より詳しい科学的情報だったり仕組みだったりをもっているはずなんですが、今回の展示物を見るにつけ、アラが気になってしょうがない(笑)
考えてみれば、元々架空の「怪獣・怪物」に対する詳細情報なわけで、完璧な理論付けなんて無理に決まっているんだけどね。
それはそれとして。
言わば不完全な情報がどうしてすんなりと子供の脳味噌に入りこんでしまうのか。
それが、図の持つ強大な力、なのである。
パンフレットにも書かれている。
「一枚の絵は一万字にまさる」
千字も万字も使っても、受け取る人が自分の中にイメージを作り出せなければ何の意味も持たない。
特に、未知のモノに対しては前提となる情報をその人が持っていなければ文章を読んでも伝わることはないのだ。
怪獣や未来の世界なんて、大人でさえイメージできないモノを、子供に対して説明することの困難さを十分に知っているからこそ、図解の力を縦横無尽に使っているのである。
その力は、子供のためだけでなく、現代の大人社会にだって通用することは、自らの仕事だけでなく、TVの情報番組の中でだって活用されているのを見れば明らかだ。
だから、この展示をみて、大伴昌司の功績を「子供のための」という小さなくくりで捉えるのではなく、現代社会で用いられる図解説明手法の先駆けとしてみてみると、それはそれでえらいことだ、と思える。
(図解自体はもっと前からあるのでしょうけどね)
でもね。
感じるのは、当時の手描きの力強さですね。
CGでは出すことができない、あるいは、出しにくい、時代特有の貴重な表現だったんだと思います。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。

コメント