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2013.05.26

『モノクロームへの眼差し-人間の本性を暴く- 挿絵画壇の重鎮 濱野彰親展』 (弥生美術館)を観る

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弥生美術館は楽しいなぁ!

挿絵は文章と一体となってお互いの効果を高めあう。
でも、文章と切り離された挿絵は、見る人自体の想像力を引き出して、その何かとともに光り出す。

毎度毎度で申し訳ないが、濱野彰親という人、知りませんでした(汗)

知らなくてもほとんど無条件で楽しめるのがこの弥生美術館なわけで…。
あっしにとってはハズレ無し。

昭和40年頃から、週刊誌や雑誌などの連載小説の挿絵で目にすることが多かったそうだ。
例えば、松本清張、川上宗薫、阿部牧郎、山崎豊子、黒岩重吾、などなど。
あらゆる雑誌、主要な新聞に挿絵を提供している。

ただし、あっしは漫画雑誌は読んでも一般誌やその他週刊誌を読むことがなく、新聞小説を読むこともしなかったため、おそらく目にした機会は無いし、あったとしても記憶には全く残っていない。

例えば、川上宗薫といえば官能小説で有名であるが、残念ながら読む世代ではなかった(?)ため、展示されている挿絵が具体的にどのような場面に対応しているのかは分からない。
しかもモノクロで線画主体である。

そうなると、今まで見てきたような色彩を伴う挿絵と違って、表現したいこと/表現することがより深い次元で求められることにつながるのではないだろうか。

実は、今回の展示の中ではカラーの挿絵もあって、雑誌の表紙を飾るモノや扉絵だったりするのだけど、明らかにタッチが違う。この変化はやはり色彩の有無によって使い分けているのだろう。

さて、あっしにとっての発見は、光瀬龍の『新宮本武蔵』(徳間文庫版)のカバー画も手がけた作品のひとつだったこと。今はどこにあるか分からなくなってしまったけど(多分実家のどこかに)。
つながっていないようで、細い糸でつながっていました、とさ。

『挿絵画壇の重鎮 濱野彰親展 モノクロームへの眼差し-人間の本性を暴く-』
弥生美術館
2013/01/08~2013/03/31

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