『アーウィン・ブルーメンフェルド 美の秘密』 (東京都写真美術館) を観る

所謂ファッション雑誌の表紙を飾るような写真といえば、ひと目でそれに釘付けにされてしまうような魅力を持っていなければならない。
それが芸術かと言われると違うような気もするが、実際のところ、眼から脳味噌に抜ける感覚としては同じものなのではないか。
ここに来る直前に、『エドワード・スタイケン写真展』を観たのだが、そこではモノクロのポートレイトが静に、力強く、しかも色っぽく眼に飛び込んできた。
またもや、アーウィン・ブルーメンフェルドという名は知らなかったが、そんなことはどうでもよろしい。
戦中戦後の『ヴォーグ』などの表紙が展示されていたが、とても混乱した状況の中で発行された雑誌とは思えない。雑誌の持つ意志と、それを支える写真家のタッグを見るようである。
しかし、色鮮やかな表紙(とそのヴァリエーション)が、先のモノクロポートレイトとは逆に力を感じさせない。というか、何か考える余地を与えないままに刺さってくる。そう、鑑賞するというよりも、突き刺さる。
良い悪いは別として、ファッション雑誌の表紙に必要な表現力を持っているということなんだと思う。
それ以外の作品も工夫が凝らされているものが多い。
具体的には、先の写真展の看板でも感じた「美+想像の美」というもの。被写体そのものが持つ美しさと、鑑賞者が持つ理想の美しさとの組合せである。あえて被写体(それは主に女性であるが)そのものの美しさを減じても、それを補う想像上の美があれば、全体として、より高次元の「美」ができあがるのだ。
極端な話、磨りガラスの向こうにぼんやりと姿が写っているだけでも、見方によっては背筋が痺れるほどのものが脳味噌の中で駆け回るのである。
そういったある種実験的な写真はさらに時代を遡ったモノクロ写真に多い。マン・レイのようなソラリゼーションを用いたものや、意図的に被写体を歪ませたり。
今回、意図して二つの写真展を同じ日に観てみた。
共にファッション誌で活躍した写真家の作品であるが、まったく別のことを感じる不思議。
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