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2014.01.14

『魔性の女 挿絵展 / 竹久夢二 美人画とモデル展』(弥生美術館/竹久夢二美術館) を観る

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魔性の女とは何なのか。
こういう分野にはイメージが湧かん(笑)

ただ、ひとついえることは、多くの場合、物語が先にあって、聴く者、読む者の心に現実の(とはいえ絵であるが)形として挿絵を用いているということだ。

未だかつて経験のないことは、それをイメージすることへの困難が伴う。物語を読み、「魔性」という属性を持つ女性が具体的にどういう人物なのか。精神的なものと、外見的なことはリンクしているのだろうか。あるいは、外見的なことから、我々は「魔性属性」を感じ取るのだろうか。どっちが先で、どっちが後か。

まぁ、あっしとしては物語が先だと思っているけど。

いずれにしろ、関わる男どもの行く末に幸福は待っていないことだけは決まっている。


前置きが長くなってしまったが、「魔性の女」というくくりで捉えると、今回の展示で明らかなように、多くの人が多様な筆でそれを表現してきたのかが分かる。

中でも、橘小夢の絵は背景となる物語を知らなくても、一種異様な雰囲気で満たされている女性だと、誰が見たって意見は一致するだろう。『玉藻の前』『安珍清姫』『高野聖』など。おそらく現代のイラストレーターでは類似する画風で人気を得るのは難しいと思う。
それは、今あふれかえっているイラストが、物語の力を背負っていないように感じるから。あるいは、物語の持つ魔性属性が弱いからなのかもしれない。
もっとも、あっしがそういうイラストに接していないだけだったりして。

橘小夢だけでなく、その他の画家の絵も、何らかの雰囲気を持っている。緩やかな螺旋階段を下っていくような。別の絵では、強引に腕を引っ張られるような。

魔性というイメージが、画家と鑑賞者の間で近づけば近づくほど、絵を観たときの衝撃が大きくなることは言うまでもない。しかし、数々の絵から湧き上がる雰囲気から、魔性という掴み所のないものを自分の中で固めていくのもまた一興だと思う。

次はお隣の竹久夢二美術館。館内を歩いてわずか20歩(笑)

竹久夢二の美人画には、その時期その時期にモデルが存在する。
有名なところでは、岸他万喜、笠井彦乃、お葉。
写真と共に絵を確認すると、眼だったり、眉毛だったり、口元だったりと、なるほどと感じる。

ただ、それを知らず、絵を絵として観ても、夢二以外の何者でもないし、女性としての描き方は一貫してぶれていないと感じるだろう。

それぞれの女性との恋愛時期によって、顔やちょっとした表現が変化するかもしれないが、逆に言うと、ファンにとってはそういう部分に自分の満足を見出すのかも。

だとしたら、あっしは真面目なファンではないなぁ(笑)
というか、ほとんどすべての画家に対して真面目なファンではないのかもね。


魔性の女 挿絵展 / 竹久夢二 美人画とモデル展
弥生美術館/竹久夢二美術館
2013/04/04~2013/06/30

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