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2014.08.29

『村岡花子と「赤毛のアン」の世界展 ~本を道しるべに、少女たちのために~』 (弥生美術館) を観る

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好きな美術館を選べば、トップ3には入る弥生美術館ではあるが、今までこんなに混雑していることは(あっしがここに通い始めてから)なかった。

さすが、朝ドラ『花子とアン』。NHK(笑)

あっしは、今まで朝ドラというものを視たことがない。だから、今回の企画展において、どのような展示になるのか興味があった。

なにしろ、弥生美術館の展示テーマは主に挿絵であって、人物そのものに焦点を当てている企画を観たことが(あっしは)なかったからだ。

村岡花子は『赤毛のアン』シリーズの翻訳者として知られている…、ようである。というのは、あっしはこの人を知らなかったからだ。『赤毛のアン』シリーズがあることは知っている。昔、TVで名作アニメの放映時間の中にあったことも知っている。(確か、1、2回は視たかもしれないが、アンのしゃべり方があっしには気恥ずかしくて、視るのをやめてしまった覚えがある。本も女の子向けだと思っていたから読んでいなかった)

で、朝ドラはドラマであって、多分途中まで『赤毛のアン』の「ア」の字も出てこないだろうし、要するに、翻訳者の翻訳作品紹介番組ではないわけ。

何が言いたいかというと、展示物(特に1階フロアの)は村岡花子の人生を紹介しているということ。もちろん、翻訳した本も展示されていますが、それは挿絵ではなく、書影だったり開いたページであったり。

いつもなら、注目する画家による挿絵原画だったり、雑誌の表紙絵だったりと、あっしの脳味噌にはわりかし素直に入ってくる。その人の人生は、いわば、おまけ的な簡易な紹介の場合が多く、絵の鑑賞を妨げることは少ない、と思っている。

ところが、今回はそれが逆になっていて、面食らってしまった、というのが本音なんです。

多分、朝ドラを視ている人はものすごく楽しく鑑賞できたのではないかなぁ。
それが証拠に、年配(特に女性)のグループで鑑賞している方々は、
「これ、あれじゃない?」
「あぁ、そうそう。あの場面で…」
なんて会話があちこちで。

2階フロアには、『赤毛のアン』の舞台であるグリーンゲイブルズの風景や、アンの住む家、アンの部屋などのイラストが飾られていたけど、1階に比べれば人口密度が低かった(笑)

やはり、ドラマをなぞっている部分の方が楽しいのかなぁ。


正直、今回はあっしの勉強不足を強く感じたわけで…。
(いつも勉強不足ではあるのですが(爆))


ミュージアムショップでいつものように、弥生美術館の学芸員が参画している「らんぷの本」を購入して退出。(あ、竹久夢二美術館も勿論観ましたよ)

その何日か後、孫の村岡理恵著『アンのゆりかご』という本を買ってみた。
が、まだ読んでない。

もしも、今回の企画展期日までに読み終わったら、もう一度弥生美術館に行くかもしれないなぁ(汗)
そしてこう言うのだ。
「あぁ、これがあの場面の…」
と。 (果たして間に合うか(笑))


『村岡花子と「赤毛のアン」の世界展』 ~本を道しるべに、少女たちのために~
弥生美術館
2014/7/4~2014/9/28

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2014.08.08

『みて、きいて、ふれる-この夏に知る戦後の労苦』 (平和祈念展示資料館) を観る

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この夏、昭和館しょうけい館、そしてここ平和祈念展示資料館の、3館連携企画ということでスタンプラリーをやっている。
あっしは知らなかったのだが、最後に来た平和祈念展示資料館でラリー用のシートをもらったので、先の2館はもう一度行かなければならない(笑)

平和祈念展示資料館は、新宿住友ビルの48階にある。
このビルには初めて入ったが、エレベータが全階共通ではなく、例えば48階から52階用でそれ以外は停止しないといった使われ方をしている。だから、別のエレベータに乗ってしまうとたどり着かない(笑)

これら3館の展示内容はそれぞれ分野が異なり、平和祈念展示資料館では、
・召集・入営・兵士の装備
・戦後の強制抑留(特にシベリア抑留)
・海外からの引き揚げ
といったところに焦点が当てられている。

いずれのコーナーにも豊富な展示物があり、実物大ジオラマもある。
(ただし、リアル感としてはしょうけい館の野戦病院の方が上かなぁ…)
また、シベリア抑留の収容所全景のモデルがあったり。

とにかく、シベリア抑留に関しては、悲惨としか言いようがない。
ノルマのきつい強制労働、少ない食料、非常な寒さ。
最初の1年で多くの人が亡くなったという。

人が生きていくためには食料が最も重要であることも説明で示されている。
塊で渡される黒パンを平等に切り分けるための苦労や、それによる仲間間の争い。
飢えをしのぐために防寒着を手放してしまうほどの切羽詰まった状況。

極寒の地では、亡くなった仲間を埋葬することもできず、ただただ遺体に雪をかけただけだという。

また、戦後、大陸に残された人々が日本に帰還することも大変であったそうな。
食料はもとより、医療品もなく、せっかく帰還船に乗ることができても日本の地を踏むことができなかったという人々も多いという。

体験コーナーでは、防寒着を着ることができたり、軍装リュック(約20kg)を持ち上げたりといったことを体験できる。また、行動用ラッパのメロディーを聴くこともできる。ちなみに、某胃腸薬で使われているラッパのメロディーは、食事開始のモノだと言うことが分かった(笑)

この日は、子供向け企画として、これらの展示とは別に用意された実物資料(複製を含む)を使って、多くの説明員が説明に当たっていた。あっしもそれに混ざっていろいろと疑問点を聞いたりした。
たとえば、
・慰問袋は本当に届いていたのだろうか?
  (もちろん最初は届いていたんだろうけど、制空制海権をとられた後はどうだったのだろうか)
・(置いてあった)防弾祈願チョッキの裏地に使われているのが紙布のようであるが?
  (これはたまたま『底のない袋』(青木玉著)の中の「紙を着る」という随筆を読んだばかりだったので)
また、シベリア抑留から帰還する際、ソビエトから新しい防寒着を支給されたといった話も聞いた。(これは抑留中にもソビエトは抑留者に適切な扱いをしていたというカモフラージュのため)
などなど。

なお、合わせて企画展が開催されていて、「酷寒の地 シベリアを描く 早田貫一抑留絵画展」も観る。
茫洋として半ば絶望的なモノを感じさせるが、なぜか筆使いは柔らかい。失った仲間達への鎮魂のためなのであろうか。

先の2館もそうであるが、実物資料を前にすると、本や映像を経由して記憶していたものを凌駕する。
だから、だから、こういった資料館をもっと活用してもらいたい。

(51階は無料展望室なのだが、知らなかったので行かなかった。あぁもったいない(爆))



『みて、きいて、ふれる-この夏に知る戦後の労苦』
平和祈念展示資料館
2014/07/19~2014/08/31

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2014.08.05

『義肢に血が通うまで -戦傷病者の社会復帰と労苦-』 (しょうけい館) を観る

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昭和館の企画展を観た後、靖国通りを神保町方面に歩いて行くと、変な看板が目に入った。

しょうけい館、とは聞いたことが無い施設名だったが、どうやら戦争に関する展示を行うようだ、ということで、小さな路地に入って入り口を探した。

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すると、割と立派なビルのガラス窓に同じ画像が貼られていた。

しょうけい館とは、戦傷病者史料館が正式名称らしいが、要するに戦争で腕や脚を切断せざるを得なくなったり、失明したりと、障碍をもつことによる苦労と生活の再建への取り組みを紹介するのが目的のようである。

1階が企画展で「義肢に血が通うまで」、2階が常設展示となっている。
また、1階には映像コーナーや関連書籍、情報検索用PCなどを使用できる場所もある。

まずは企画展を観てみる。

主に義肢や義足の実物を展示しているのだが、その歴史は古く、日本では西南戦争の頃から少しずつ普及していったようである。当初は失った部分の見栄えを補完する審美的義肢から、その後は実用性(作業性)を重視した作業用義肢に重点が変化していく。
これは、義肢を装着する本人が、作業することを通して社会に復帰していくことを示している。
しかし、そうはいっても簡単なことでは無い。
各種の作業のための義肢が開発され、それを使って訓練を行い、身を立てられるようにするには血のにじむような努力が必要であったろう。
それこそが、ここでいう「義肢に血を通わせる」ことになるのだ。

既に現代の技術では、義肢に神経を通わせることも可能になりつつある。

現代日本では、戦争による四肢の欠損といったことは、もはや無いと言えるが、交通事故や労働災害、疾病などでやむなく必要になる人もいる。だから、義肢の性能向上についてはたゆまぬ性能向上が必要とされるだろう。

また、国外に目を向ければ、戦争が日常になっているところも多く、毎日のようにニュースで報じられている。
そのような場所では、今でも義肢を必要とする人々が増え続けているのだろう。
いつまでこんなコトが続くのか…。


さて、2階へ。
見所は、兵士が受傷したときの衣服だったり、眼鏡だったり。摘出した弾丸だったり。

さらにびっくりするのが、野戦病院の実物大ジオラマ。
薄暗い洞穴には受傷した兵士が3人。
一人は洞穴の壁際で銃を持ちつつ虚ろな目をしている。
一人は運び込まれた担架に乗せられたまま地面におかれてい、片手を虚空に伸ばしている。
もう一人は粗末な台の上で軍医によって弾丸の摘出手術を受けている最中。口には棒をかませ、麻酔なしの痛さに弓なる背中を押さえつけるために衛生兵が二人がかりで兵士を押さえつけている。
そしてまた一人、洞穴には肩を担がれた兵士が入ってくる。

いやはや、背筋が冷たくなるほど良くできている。
長居はしたくないけど、ナレーションを聞き終わるまで動くことができなかった。

終戦。
帰国する病院船である氷川丸の映像であったり、箱根の療養所で使われた車いすであったり。

それらを見て気がついたのは、傷病者の来ている服は白いのだ。

ここであっしの古い記憶の話になる。

幼稚園か小学校低学年の頃だったか。
親戚の家に行くために車で上野のガード下を通り過ぎると、レストラン聚楽と京成上野駅入り口の間に階段がある。(階段は今でもある)
その階段の両端には白い衣装を着た人が下から上まで何人かずつ並んでいた。
中には、明らかに両手両足の長さが足りていない人もいた。
幟や看板みたいなものがあって、何かが書かれていたような気もする。

いつの頃からか、そういう人は見当たらなくなり、似顔絵描きの人なんかに変化していったのだが、白衣装の人の記憶は、脳味噌の奥底に沈んでいた。

ところが、今回の展示を見て、「あぁ!」とつながったわけである。
あれから30年、40年。もう彼らはこの世にはいないのだろう。
でも、あっしは覚えていた。
そして、これからも忘れないはずだ。

大きくはない展示設備であるが、一度は観ておくべきであろう。


『義肢に血が通うまで -戦傷病者の社会復帰と労苦-』
しょうけい館
2014/07/23~2014/09/15

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2014.08.02

『空襲とくらし ~そのとき、人々は…~』 (昭和館) を観る

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あっしのような、戦争を知らない子供達は、知らないこと自体が危険性をはらんでいると思う。

だからというわけでもないが、あっしは高校を卒業したあたりだろうか、その頃から夏になると第二次世界大戦に関する書物、特に日本からの視点、日本への視点について少しずつ読むようにしてきた。残念ながら、その頃読んだ本の記憶はほとんど脳味噌の中の開かない引き出しに仕舞い込まれてしまったが…(汗)

書物だけではなく、TVでもこの時期あるいは開戦したころには特集番組が組まれたりして、時間があれば視る。

ただし、それらはあくまで紙の上や、画面の中の出来事であって、その時はなんだか納得した気分にはなるのだけれども、戦争と自分の間には非常に大きな隔たりがあるため、衝撃を受けることは大なるも忘却も早いという難点があるわけである。

そこで昭和館なのである。

ここで行われる企画展は無料なので気安く観ることができる割には、現物資料を間近に捉えることができることが大きい。毎回視点を変えて行われるので、マンネリ感も小さい。

今回は空襲について。

あっしが覚えているのは、B29からバラバラと投下される焼夷弾によって、地上に次々と光が広がっていくという光景である。

実際には、既に昭和8年に大阪で空襲に対する訓練が行われていたということで、本土空襲の危機感が無かったわけではないようだ。しかし、それに対して、空襲などあるはずが無い、といったような新聞記事が載るようなこともあり、どこまで政府や軍部が空襲に対して考慮していたのか分からない。

また、敵から入手した焼夷弾による家屋の消火訓練の映像も視ることができた。
たった1発の焼夷弾が1軒屋に当たって燃え上がったところを、手動ポンプ、水バケツリレー、砂バケツリレーなどの方策で消し止めた、というものである。それも、何十人も人をかけて。
ナレーションでは、この訓練結果から「焼夷弾恐るるに足らず」と述べていた。

ここで思い出すのは関東大震災である。
焼夷弾でも無く、地震による個別の火災さえ防ぎきれず、焼け野原になったことを忘れているのだろうか。
焼夷弾が1発だけしか投下されないとでも考えていたのだろうか。
そんなとき、消火のための水や装置や人員が足りると考えていたのだろうか。

なんだか、こういうことでさえ東日本大震災の後のための教訓として生かされることも無いのでは?と不安になる。

結局、日本は制空権を失い、空襲は激しさを増し、学童疎開、工場疎開などの対応を迫られた上に、結局はご存じの通りの結果となったわけである。

一般市民は何もしなかったわけでは無い。
政府や軍部の命令に従い、準備をし、訓練をし、助け合ってきたのだ。
しかし、市民の力はあまりにも小さすぎた。

この企画展では、あくまで市井の人々からみた戦争を扱っているから、上層部の(対外的)判断決断については何も語ってはいない。だからこそ、このような生活が自分に降りかかることを考えたときに何ができるのかを、いや、そうしないためにはどうせねばならないのかを考えなければならないのだろう。



『空襲とくらし ~そのとき、人々は…~』
昭和館
2014/07/26~2014/08/31
入場無料

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