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2014.08.02

『空襲とくらし ~そのとき、人々は…~』 (昭和館) を観る

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あっしのような、戦争を知らない子供達は、知らないこと自体が危険性をはらんでいると思う。

だからというわけでもないが、あっしは高校を卒業したあたりだろうか、その頃から夏になると第二次世界大戦に関する書物、特に日本からの視点、日本への視点について少しずつ読むようにしてきた。残念ながら、その頃読んだ本の記憶はほとんど脳味噌の中の開かない引き出しに仕舞い込まれてしまったが…(汗)

書物だけではなく、TVでもこの時期あるいは開戦したころには特集番組が組まれたりして、時間があれば視る。

ただし、それらはあくまで紙の上や、画面の中の出来事であって、その時はなんだか納得した気分にはなるのだけれども、戦争と自分の間には非常に大きな隔たりがあるため、衝撃を受けることは大なるも忘却も早いという難点があるわけである。

そこで昭和館なのである。

ここで行われる企画展は無料なので気安く観ることができる割には、現物資料を間近に捉えることができることが大きい。毎回視点を変えて行われるので、マンネリ感も小さい。

今回は空襲について。

あっしが覚えているのは、B29からバラバラと投下される焼夷弾によって、地上に次々と光が広がっていくという光景である。

実際には、既に昭和8年に大阪で空襲に対する訓練が行われていたということで、本土空襲の危機感が無かったわけではないようだ。しかし、それに対して、空襲などあるはずが無い、といったような新聞記事が載るようなこともあり、どこまで政府や軍部が空襲に対して考慮していたのか分からない。

また、敵から入手した焼夷弾による家屋の消火訓練の映像も視ることができた。
たった1発の焼夷弾が1軒屋に当たって燃え上がったところを、手動ポンプ、水バケツリレー、砂バケツリレーなどの方策で消し止めた、というものである。それも、何十人も人をかけて。
ナレーションでは、この訓練結果から「焼夷弾恐るるに足らず」と述べていた。

ここで思い出すのは関東大震災である。
焼夷弾でも無く、地震による個別の火災さえ防ぎきれず、焼け野原になったことを忘れているのだろうか。
焼夷弾が1発だけしか投下されないとでも考えていたのだろうか。
そんなとき、消火のための水や装置や人員が足りると考えていたのだろうか。

なんだか、こういうことでさえ東日本大震災の後のための教訓として生かされることも無いのでは?と不安になる。

結局、日本は制空権を失い、空襲は激しさを増し、学童疎開、工場疎開などの対応を迫られた上に、結局はご存じの通りの結果となったわけである。

一般市民は何もしなかったわけでは無い。
政府や軍部の命令に従い、準備をし、訓練をし、助け合ってきたのだ。
しかし、市民の力はあまりにも小さすぎた。

この企画展では、あくまで市井の人々からみた戦争を扱っているから、上層部の(対外的)判断決断については何も語ってはいない。だからこそ、このような生活が自分に降りかかることを考えたときに何ができるのかを、いや、そうしないためにはどうせねばならないのかを考えなければならないのだろう。



『空襲とくらし ~そのとき、人々は…~』
昭和館
2014/07/26~2014/08/31
入場無料

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