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2014.09.30

『オシャレな昼ご飯はココで』 街中の劇物 2014-04

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ワンプレートランチですよ。

オシャレでしょ。

名前はランチですけど、その中身は・・・。

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2014.09.25

『あっ、と驚く・・・』 街中の劇物 2014-03

為五郎~~、かどうかは知らないが。

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幟(のぼり)看板を差し込む土台です。

何モノににも、「ウラの顔」 というものがあるワケで・・・。

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2014.09.24

柳原白蓮関係の本・思わぬところで

柳原白蓮関係の本、もちろん、自伝や詩集などもあるけど、それ以外を探しているときに見つけた雑誌。

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これは、『彷書月刊』 という、古書ファンや古書情報のための月刊誌。
既に300号をもって終巻となっている。(これは、インターネットによる古書検索や古書取引が広まったためなんでしょう)

この雑誌の、2003年2月号(通巻209号)に、

【特集】 柳原白蓮 大正十年のスキャンダル

ということで、8本の署名記事と、関連年表が掲載されている。

この2003年2月(1月発売)という時期が、白蓮事件とどういう関係があるのか分からない。
大正10年は、西暦1921年だから、きりのいい数字ということでもない。
何か理由があるのかな?

内容は、先に読んだ、『白蓮れんれん』 『恋の華・白蓮事件』 と違って、劇作家、元歴史資料館館長、歌人、作家、郷土史研究家、などなど多方面から見た白蓮を記している。そういう意味では、書かれていなかった内容だったり、新しい見方を示しているということで、面白い。

実は、この雑誌、他にも面白い特集のものがあったので、何冊かを購入。紹介するタイミングがあれば、また何か書きます。

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『恋の華・白蓮事件』 (永畑道子著) を読む

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引き続き、柳原白蓮関連の本を読んだ。

『白蓮れんれん』(林真理子)よりも12年早く書かれたもの。したがって、使用した資料、取材過程などが異なっている。まだ存命であった関係者の証言なども生かされていると思われる。また、より評伝に近い形態で書かれており、随時、証言や文献が引用されている。柳原燁子(白蓮)の生誕の事情から掘り起こされているので、その点からいえば人生の全体像を把握するのであれば、この本を読むべきか。

ただし、読み手としては、必ずしも時系列の記述になっていないので、うっかりすると話が分からなくなってしまうのが、むむと思ったところもある。

全体の印象は、『白蓮れんれん』よりも、より奔放な性格として白蓮を捉えている。伊藤伝右衛門との再婚を機にさらに歌にのめり込んでいく白蓮が、自分で自分を追い込んでいく女性として書かれている。それは、愛のない生活から愛を求める生活への変貌を遂げていくことと同義であり、宮崎竜介以前にも複数の男との手紙のやりとりで駆け引きがあったことなども露わにされている。

白蓮と竜介の出会いは、本書の中では全体の全体の終わりまで残り1/4あたりからとなる。
竜介自身の証言として、白蓮と初対面したときには特別な感情は無かった、とも書かれていることから、白蓮からのアタックが強烈だったことも推察される。

最初は仕事上の関係であったものではあるが、白蓮にとっては自分の生み出した作品を理解する数少ない男である竜介を希望の星として捉えるのも無理はない、とも思う。九州筑紫では女王と呼ばれていても、愛のない生活からの脱出欲は最早爆発寸前だったのだろう。

したがって、白蓮事件とはいっても、本書ではそこに至る白蓮の心の変化を通して臨場感を高める意味もあったのではないだろうか。

同じ事件であっても、どこからの視点で記述するか。俯瞰する場面、掘り起こす場面の選択によって、できあがる本の印象が大きく変化するところが面白い。
どちらか一方を読んだ人は、もう一方の本を合わせて読んでみるのも一興であると思いますよ(笑)


『恋の華・白蓮事件』
永畑道子著
文春文庫

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2014.09.21

『白蓮れんれん』 (林真理子著) を読む

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こちらでも書きましたが、朝ドラは視ていません。
どこかのHPに、「ヒロインは花子なのに、燁子にも人気があって、Wヒロイン状態だ。これって『アナと雪の女王』と同じパターンだね。」 なんて書かれていたのをみて、この本も読んでみました。

そしたら。

面白いじゃねーか。

小説だから、という注釈がつくからかもしれないけど、柳原白蓮(柳原燁子)の生涯は波瀾万丈。
大正十年に起こした所謂 「白蓮事件」 が皇室や貴族院などを巻き込むスキャンダルに発展してしまったのも、当時の社会情勢というか、華族制度、家族制度、法律からいえば当然のこと。
それをすべて認識しての行動ではなかったようであるが、相当程度は予想してのことのはず。それでも実行してしまった力の根源は、伊藤燁子(当時)と宮崎竜介の結びつきの強さに他ならない。

現代であれば、スポーツ紙や週刊誌、あるいはTVの情報番組の芸能コーナーで見ない日は無いであろう(あっしは読んでないけど)成り行きだから、特別な興味を持って追うことは少ないと思う。
けれども、大正時代は制度の時代。普通に、格や資産の異なる家の間での結婚さえ問題視される。もちろん浮気は姦通罪。北原白秋は告訴され、有島武郎は自殺する、といった事件の元になる法律である。

元々、伊藤伝右衛門との再婚でさえ華族と九州の石炭富豪という不思議なものである。実際は複雑な家族構成を持っていた伝右衛門に燁子はだまされた思いであると同時に、不信という言葉が芽生えたであろう。事件の根幹は既にあったといっても良く、なまじ有名であることがその身を縛ることになってしまったのも加わる。

とはいえ、伝右衛門も燁子の意に沿うように家を改築したり、別荘を建てたり、名士のサロンには自由に行かせたりと気は遣っていたようであるから、全くの悪者ということでもない。

結局、無かったモノは、信頼と育む愛、という結婚生活に必要な二つの柱だったのだろう。(あっしには分からんけど(笑))

そこに現れた宮崎竜介という人物が、柱を失っている燁子が命をかけたともいえる歌や戯曲の側から心を掴むという離れ業をやってのけたともいえる。(言い方はあんまり良くないかもしれないけど)
さらに、数は少ないにしろ、良い仲間に恵まれたこともあるだろう。

絶縁状を突きつけられた伝右衛門は、小説の中ではこうなることを悟っていたが示唆されている。本当かどうかは分からない。しかし、姦通罪で訴えることもせず、事件を収束させる方向で動いたことを考え合わせると、それはそれで自分の立場も考えたのであろう。

だけど、伝右衛門も結婚直後から予感していたのかもしれない。自身も、信頼と育む愛、という柱を失っていることに気がついていたはずだからだ。それに気がつかないほどの凡人ならば、炭鉱王になる頭脳も持ち合わせていないはずだから・・・、と思うが、世の中そうそううまくはいかないのですね。
ただ、引き際についてだけは、わきまえていた、と。

なんだか、伝右衛門の方に感想が引っ張られちゃったなぁ(笑)

なお、この本は白蓮と竜介の間に交わされた書簡が何通も登場する。
読んでいるこちらが赤面するほどの内容であるが、文字とそれらが往復する時間が互いに互いの愛を深めていくことを知らしめる。
それに比べれば、現代はいかに軽薄なことかと、チクリとされるのだ。

それと、本書には、村岡花子という名が登場するのは、気がついただけでは1カ所しか無かったです。

『白蓮れんれん』
林真理子著
集英社文庫

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2014.09.19

可愛い西洋絵画

まぁ、タイトルの通りなんだけれども。

西洋絵画が難しいか難しくないかと問われると、あっしの答えとしては、

「難しいかどうかは、関係ありません」。

宗教画は聖書の知識が無いと、描かれている各部のモノや色に意味があったりするから、あっしなんかは単なる「絵」としか見えないし、それも古い時代の絵になると色彩が乏しい事も多く、何が描かれているのかさえ分からないこともある。
それに加えて、印象派だの何だのと、いろいろとあるし、意味分からん。

でもね。それをちょっと我慢して色々と観ていくと、なんとなく自分に合うなぁと思うものが見えてくるのです。

つまり、

「好きか、どうか」

なのです。

それをはっきり認識したのは、国立新美術館でやっていた 『大エルミタージュ美術館展 世紀の顔 西洋絵画の400年』 を観たとき。

特に、この絵。

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18世紀フランスの女性画家、エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブランの自画像である。

なんという可愛さ(笑)
無条件で気に入ってしまいましたねぇ。
自分をこれだけ可愛く描けるとは、なんという自信といいますか。

でも、この絵を観て、難しいとか難しくないとか、そんな感情は浮かんできませんよね。

他にも、

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や、

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といった自画像もあります。(いずれも画像はwikipediaから)
描かれた時期によって雰囲気は違いますけど、自信を持って自分の可愛さを押し出してます(笑)

別に、この人じゃなくてもいいし、「可愛い」という点でなくてもいい。「かっこいい」だったり「不思議」だったり。
こういった「何かに引っかかる」絵って、いろんな美術館に一つや二つはあるものです。そこから似た傾向の画家の絵を探ってみたり、同時代の画家を調べてみたり、と。最初は美術館にお金を捨ててきてしまうような気分になってしまうかもしれないけれどね。

同じ画家でも、時期によって画風が変わったり(ピカソなんかそうです)しますから、すべてに当てはまることでもありませんが。

もちろん、西洋絵画だけではなく日本画にも当てはまりますし、書や陶芸などもそう。
結局は、「好きかどうか」 だけ。

あとは、「好きな」ものにどれだけ出会うことができるかですね。
その上で、ジャンルなり時代なり、といった好きなものの範囲が大きくなっていけばより楽しめるという寸法なのです。

あっしが言うのも何ですが、こういうのって、若いうちから接していた方がいいですよ。ホント。

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2014.09.18

上村一夫 二つの 『一葉裏日誌』

前にも書きましたが、上村一夫の漫画を集めている。

1940年に生まれ、1986年に亡くなっているから、もう少しで没後30年になる。漫画家としての活躍は約20年間といったところか。『昭和の絵師』 といわれる流麗な画風は、未だに無二のものと確信している。

漫画家として現役の頃から長い時間が経っているので、作品が単行本等になると時期によっていろいろな装幀になったり、文庫版として登場したりと、さまざまな形態をとるものがある。

そんな作品の一つが、今回取り上げる 『一葉裏日誌』。

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写真はともに小学館から出ている(出ていた)もので、左は現在も入手可能な文庫版で、右は絶版となっているA5版の箱入り装幀版。

それぞれページ数は、346と168。

なんと、文庫版の方がページ数が多い。

何故かというと、収録されている作品が異なっているのである。タイトルとなっている 「一葉裏日誌」 はもちろん同じ内容が収録されているが、合わせて 「うたまる」 という作品もどちらにも収録されている。

そこまでは同じ。

目次を含む見開きを比較してみると。

A5版
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文庫版
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となっており(見にくくてすいません)

A5版では、「一葉裏日誌」(全3話) の第1話 「たけくらべの頃」 が4ページのフルカラー、4ページの2色カラーになっていて、巻末には解説(福田義也)、作品リスト、エッセイ(久世光彦・高信太郎・佐藤敏章)がある。

文庫版では、すべてモノクロ、巻末には娘の上村汀さんのエッセイが代わりに掲載されている。さらに大きな違いは、

「帯の男」 (全6話)

という作品が載っていることである。

実は、この作品は他の単行本や文庫化されたものには(おそらく)入っておらず、読むことができるのはこの文庫版だけなのだ。

この作品は、ビッグコミックの増刊号に不定期に掲載されたもので、和服の着付けで帯を締めるだけの役を務める初老の男が主人公で、とっても渋い内容。上村一夫がこういう作品を描いたら、たぶん右に出る人はいないのではないかと思うほど。

装幀ではA5版の方が所有欲を満たすというか、重みを感じるというか。
(ビニールカバーが掛かっていて、見返しの鮮やかなピンク色、上村一夫の顔写真、薄く漉いた和紙を挟んで扉絵になるという豪華な造り、なのだ)

でも、内容を考えると文庫版だし。

こういうパターンがあるから、既に持っているタイトルの本であっても判型が違ったりすると内容も異なることがあって、なかなか買う買わないの判断が難しいのである。

実は、他にもそういうパターンがあるのであるが、いずれまた。


『一葉裏日誌』
A5版単行本: 1986年5月 初版発行
文庫版: 1996年9月 初版発行

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2014.09.16

『闘』 (幸田文著) を読む

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あっしが幸田文を知ってから、この文庫を見つけるまで結構時間がかかった。

幸田文は今でもいくつかの文庫は入手が容易で、大抵の書店では棚に何冊かは揃っている。でも、この『闘』はブックカバーの後ろ側についているラインナップからは削除されていて、つまり、もう絶版になっていたのだ。

良く行くいくつかの古書店でもなかなか見つけられなかったわけ。

おそらく、題材が古いこともその一因なのではないかと思う。

『闘』のメインテーマは、結核療養患者とその周辺人物の織りなす人間模様とでも言いましょうか。死という雰囲気の漂う専門病院の病棟では、病気と人間の闘いが繰り広げられていて、それに勝つ人、負ける人、どちらなのか分からない人、それぞれの模様が活写されている。

もはや、結核は国民病でもなく、死の病でもない。だけど今でも時たまTVで感染者が出たといったニュースが流れるから根絶された病気ということでもない。そういう意味では題材が古く、時代に合わなく、病気そのものさえ軽く見られることがあるから、復刊されないのかもしれない。

しかし、現代でいえば、病死の三大要因である癌がそれにあたるといえるのではないだろうか。
癌だって少し前は、死と直結した病であったはずであるが、医療の進歩によって、まだまだ時間はかかるであろうが、結核克服の辿った道のようになることが夢ではない。

さて、あらすじはというと。

いきなり結核専門病院に来て、大喀血してしまう人から話は始まる。
この人が話の主人公かと思えば、あっさりと亡くなってしまう。

全12章からなるこの本では、各章で異なる患者の闘病記の体裁をとっている。そして、全章を通じて登場するのが別呂省吾という10年もこの病院で最も長く療養している患者である。強い意志を持ち病気と対峙する男であり、この本の通底音といえる。

省吾は多くの患者の闘病の様子を自室に流れてくる噂を批評する。いずれも省吾にとって、他人の闘病はほんの一瞬の出来事でしかない。自らの強さを恃む省吾は度々の自身の危機にもその都度立ち向かい、ほんの少しの差で病に勝ち続ける。病院の人々は、そんな男の姿に賞賛を送るが、結局はほんの少しの差で負け、物語は終焉となる。

闘病は患者のみの話ではない。それを支える医療関係者、さらには患者の家族にも大きな負担をかける。おそらく、家族の部分については幸田文の実弟成豊が結核で亡くなったことも念頭にあるだろう。小説『おとうと』における看病記の部分にだぶる部分も垣間見える。患者家族の内部事情についても詳しく書かれる部分が散見される。つまり、闘病記としてはすべてが明白になっていなければ完結し得ないと思っていたからだと思う。

また、患者にとっていえば、病院における生活は、健常者の生活時間と同じではないことが示される。これには目が開かれた思いだった。闘病中の時間は患者にとっては健常者と同じ時間が流れているのだが、健常者にとっていえば患者の時間は止まっている時間なのである。長ければ長いほど健常者が費やした時間に追いつくことが難しくなる。せっかく回復したのにもかかわらず、退院直前に自殺してしまう患者の話にも1章を割いている。

人間は自分の考えていることさえ十分には把握できない。まして、他人のことなぞその十分の一にも満たなくたって不思議ではない。そういう点では、この本はある程度視点を分散し、多方面から闘病の実態をわかるように配慮しているともいえる。

そしてまた、こう書かれている。

「今までの平和は、こんなにも薄手な基盤の上に築かれていた」

平静な生活は薄氷の上にある、ということを今一度考えるべきである。
一度氷が割れれば、極寒の水がら這い上がることは至難の業となることもあるのだ。

『闘』 幸田文著
新潮文庫

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2014.09.14

『我が家専用のバス停?』 街中の劇物2014-02

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たしか、『ドラえもん』には「自分の家に地下鉄を通してしまう」という話があったような気がする。

古いデジカメデータを見直していたら、2008年に福島の桜巡りをした際に撮ったこの写真があった。

 バス停名称 「家の前」

いわきあたりで、ほぼ道に迷っていろんなところを走り回っているうちにこのバス停を発見して、二度見する如くちょっと行きすぎてからカメラを持って引き返したことを覚えている。

しかも、バス停の前は田んぼ。

「家の前」とはなっているが、このとき周りを見渡すと、田んぼの反対側100mくらいのところに1軒か2軒のいわゆる地方の大きめ戸建て住宅があったような覚えがある。

全然前じゃねぇ。

バス会社は、新常磐交通となっているので、HPで調べてみたら確かに実在していた。
(ちなみに、「新」の字は小さく書かれており、これは2006年に常磐交通から新常磐交通に社名変更したためらしい。たぶん、「新」はシールを貼ったのだろう)

で、場所はどこかというと、

磐越自動車道の小野インターチェンジと差塩パーキングエリアの間の差塩寄りに「家ノ前」という地名があった。県道66号線が常磐自動車道をくぐるあたり。

もはや、どういうルートを運転してここにたどり着いたのか覚えていないが、おそらく接続する県道358号線側から右折したような記憶があるから、やっぱり道に迷っていたんだろうなぁ。たぶん、高速代をけちるために(笑)

まぁ、だからこういう変なモノを見つけたことができたわけで・・・。

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2014.09.12

『頑固な自動販売機』 街中の劇物2014-01

今年は事情により福島の桜巡りをすることができなかった。
誠に残念です。
来年には何とか。

という話はおいておいて。

この写真は、昨年三春滝桜に行ったときに撮ったモノ。
(桜そのものじゃなくてすいません(汗))

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たしか、滝桜を愛でる巡回路から駐車場に下っていく道に分岐するところにあった飲料の自動販売機。

なにが劇物だとおっしゃる貴方。

貴方は多分見たことがないモノを見ているんですよ。

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左側の販売機には、お茶しかありません。

コーラが飲みたくても、コーヒーが飲みたくても、水が飲みたくても、貴方には売らないんです。

「俺はお茶しか売らないんだよっ! 違うモノが飲みたいんなら他に行っとくれ!!」

ということなんですよ。お金を入れて、どのボタンを押しても出てくるのはお茶だけ。せいぜいペットボトルの大きさが違うくらい。小さいペットボトルなら、ホットも選べるのだ。

その意気や良し。

あっしは、その頑固親父のような自動販売機から、ホットなお茶を一つ買いました。

だけど、頑固親父の頭のように、カッカと熱い・・・、ではない優しい温かさでしたけどね(笑)

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2014.09.10

村岡花子の『婦人文庫』寄稿

『アンのゆりかご 村岡花子の生涯』を読み終わったとき、何か引っかかったことがあったので、それが何か思い出そうとしていた。

それがこれだった。

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前々々回の記事で取り上げた『婦人文庫』という雑誌である。
その昭和24年(1949年)2月号の下に、

「夫婦生活の明暗の岐路  村岡花子」

という文字が見える。村岡花子の記事が載っていることを、特に示しているのである。

手持ちの他の号では、そういう書き方はされていないし、目次を確認しても花子の記事は見当たらない。
(ただし、持っていない号ではあるのかもしれないけど)

こういう、ひとつの情報(この場合は『アンのゆりかご』を読んだこと)から、思いもかけなかった繋がりを発見することができるとき、なんというか、アドレナリンがドバドバ出るようか感じがしますね。単なる情報の散らばりが連結する面白さ。

さて、記事の内容はというと、

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妻が夫の手帳の中に浮気の証拠を見つけてしまったとき、どういう対応をするとどうなるか、というものを2つのパターンで書いている。花子は、その時の妻の対応は一瞬で決まるものであり、それが大きくその後の人生を変えてしまうことがある、と結んでいる。

あっしにはよく分からないけど、今のTVドラマだって似たようなもんだろうなぁ、なんて思う。

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花子は明治26年(1893年)6月生まれであるから、このとき55歳。
この頃の雑誌は紙質が良くなく印刷も粗いので、写真の姿が年相応なのか分からんのですが、ふっくらどっしりという貫禄を感じさせますね。

花子の 『赤毛のアン』 が、まだこの世に出ていない頃の話である。

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2014.09.09

『アンのゆりかご 村岡花子の生涯』 (村岡恵理著) を読む

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なんというのかな。

環境や時代の変化が、自分の目指すところに壁を置いてしまうことになるのは止められない。
止められないからこそ、穴を開けたり、梯子をかけたり、遠回りをせざるを得なくなる。

花子の生涯には必ずどこかにその可能性が残されており、結果としてみれば、まっすぐに歩いてきたように勘違いしてしまう。

それだけ、ぐいぐいとこの本を読まされてしまうということが言いたいのだ。
それに、あちこちに(涙)ポイントがちりばめられている(あっしにとっては(笑))

本当はもっと書きたいことがあったのでしょう。燁子との関係だってあっさりと書かれているし、儆三との恋愛についてだってそう。婦人参政権の話や戦時中の生活、そんなことだって、もっと深く書けるはず。

と思うのだけど、やっぱり花子の志が何であったのかを考えれば、ある程度の枝葉を落とさなければならないし、逆に言えば、あっしのように考えるおっさんもいるのは承知で、『赤毛のアン』シリーズを読むべき世代を対象にしているのでしょう。(あっしはそれを読んでないのです(汗))

助け、助けられ、山を登っていくような花子の人生を思うとき、何の信仰もないあっしには理解できない部分もある。なぜ、その現実を信仰のうちに取り込むことができるのか。だからこそ志を全うすることができた、ということなのか。

それは本人にしか分からないのかもしれない。分かってもらわなくても構わないのかもしれない。

ひとつ不思議だったのは、戦前にミス・ショーから託された『アン・オブ・グリン・ゲイブルス』を戦時中に必死に翻訳していたのに、戦後になってから出し渋っているような雰囲気があったこと。花子は学生時代に『源氏物語』や『万葉集』などの古典を勉強していたのに、たかだか40年前に発表された原作の翻訳本出版をためらったのは何故なんだろう。下手をするとミス・ショーとの約束を反故にしてしまう恐れがあったのに。

ともかく、村岡花子は壁で見えない曲がり角をいくつも曲がって、自らの志を実現するという、いちばんよいもをつかんだのだ。

とりあえず、期限内には読み終わったので、あとは体調・時間等勘案して再度弥生美術館へ行けるかだなぁ。あっはっは。

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2014.09.06

上村一夫 『同棲時代と僕』 の不思議

相当前から上村一夫の漫画を集めている。

なんといっても、あっしにとっては「目力」にイチコロ、というわけである。

その上村一夫が著した唯一(?)のエッセイ集である『同棲時代と僕』。

Webで調べてもプレミア価格がついているし、なかなか現物を確認することが出来なかったけど、いつも行く古書店のレジ近くにひっそりと置かれていたじゃあ~りませんか。そのまま値段も確認せずに買ってしまった。やっぱりプレミア価格だったが・・・(笑)

20140906a

表紙は『同棲時代』の今日子。
流れる涙が途中で赤くなるという、物語の悲劇性を暗示している。

それはそれとして。

読み始めたら、なんだかおかしい。
『同棲時代と僕』というタイトルは、この本のタイトルであると同時に、冒頭を飾るエッセイなのであるが。

このエッセイ、話がうまくつながっていない?

どうやら、文章のつながりが変になっているみたいなので、ちょっと解析してみました。


以下、問題となる12〜13ページの直前の文章を引用します。
------------------------------------
 「愛の狩人」を同棲時代の陽の原因であるとすると、陰の原因としてA君のことを上げなくてはなるまい。
 私は漫画の世界に入りたての頃、漫画家とは一体どんな人種であろうと興味を持って、多数の漫画家と会った。 (11ページ終わり)
------------------------------------
この後の12〜13ページがこれ。
20140906b

(見えない方は、少し拡大したこちらをご覧ください)

そのまま読むと、12ページに入っていきなり上村一夫はA君の部屋に入っている。
中盤にさしかかると、

「・・・。女性も、カスリを着せておいたらピ(改行)不思議な事に、漫画家は阿佐ヵ谷に多く、・・・」

なんだ、この「ピ」というのは。

さらに読み進めると、

「・・・。私は初めて男が男に対して「優しい」というのを聞き、彼に興味を持った。
ある日、また二人で飲んでいると、酔った私の頬に突然、平手打ちが飛んできた。・・・~~~。
・・・。私は不思議な人だと一層の興味を持ち、いたたまれず彼の下宿を訪ねることにした。 (12ページ終わり)」

まぁここまでは一括りの描写であろうと思われる。
この本全体にいえることであるが、文章のかたまりの最初を示す「一字下げ」があったり無かったりする。だけど、11ページから13ページにわたる混乱からすれば、かわいいモノだ(笑)

さて、13ページの冒頭部分。

「ッタリするような感じの女で、何も言わず影のようにA君のそばによりそっている。・・・」

ということで、12〜13ページのつながりは、

「いたたまれず彼の下宿を訪ねることにした。ッタリとするような感じの女で、・・・」

となるわけ。
なんだ「ッタリ」って。

もうおわかりでしょう。
というか、画像にA、B、Cと入れておきましたが、12〜13ページは、

A→B→C

のブロックで読まなければならないのです。

つまり、

  多数の漫画家と会った        (11ページ終わり)
   ↓
(A)不思議な事に、漫画家は阿佐ヵ谷に多く、・・・
   ↓
  彼の下宿を訪ねることにした。    (Aブロック終わり)
   ↓
(B)部屋に入ると、かわいい女性が一人いた。~~~。女性も、昔のカスリを着せておいたらピ    (Bブロック終わり)
   ↓
(C)ッタリするような感じの女で、・・・      (13ページ冒頭)

という流で読むのが正しいのです。
なんでこんなコトになったのか分かりませんが、編集とか校正の仕事についてはよく分からないのですけど、締め切りの関係で抜けてしまったんでしょうかねぇ。

奥付は、
20140906d
初版から第2版まで2日だけですね。こういうもんなのでしょうか。
年末だったからなのかなぁ。

ちなみに、
「落丁本・乱丁本は本社でお取替えいたします」
と奥付に書かれていますが、そのどちらでもないので、交換できないでしょうね。
第3版以降が発行されたか分かりませんが、この部分は修正されたのでしょうか。

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2014.09.04

あまり知られていない中原淳一の仕事 『婦人文庫』

中原淳一といえば、

・少女の友
・それいゆ
・ひまわり
・ジュニアそれいゆ

といった雑誌の仕事や、ファッションそのもの、ファンシーグッズなどの先駆けなどで知られている。

『少女の友』は大東亜戦争に突入する前年に軍部からの圧力で雑誌から降板している。
したがって、戦後は『それいゆ』から始まったということになる。

『それいゆ』は、中原淳一が全面的に手をかけて出版した最初の雑誌であるから、確かにその通りであろう。
ちなみに、『それいゆ』(創刊号では『ソレイユ』)が発売されたのは終戦からちょうど1年後の1946年8月15日である。

ところが・・・。

20140904a

この写真の雑誌は、『婦人文庫』というもので、1946年5月創刊である。
鎌倉文庫という出版社の発行であるが、川端康成が大いに関係しているらしい。
また、川端康成は、小説『乙女の港』の挿絵を中原淳一が手がけていたりしたことから声をかけたのであろう。

なお、手元には、1946年6月号(5月20日発行)の創刊第2号からがある。(写真左上)
つまり、創刊号はおそらくひと月は前であろうから、1946年4月には発行されているはずだ。

創刊第3号(1946年7月号)から、中原淳一の表紙絵に変わっている。右下のものは1949年の4月号(3月発行)なので、少なくとも3年以上は表紙絵を担当していることになる。
画風は初期の『それいゆ』のように、輪郭線をほとんど強調しない柔らかな感じを醸している。

さらに、驚くのは、

20140904b

創刊第2号では表紙絵は担当していないものの、『それいゆ』の連載でも有名な「それいゆぱたーん」を彷彿とさせるファッションページを描いているのである。
タイトルは、「モンペやゆかたで出来たドレス」。
中原淳一得意の、生地の使い回しやちょっとした工夫で新しいモノを作り出す、というやつ。

中原淳一自身は、1945年8月に復員してから、自らが理想とする女性のための雑誌『それいゆ』を出そうとして奔走していた時期であろう。
ただし、タイミングとしては、雑誌に登場するのは『婦人文庫』の方が早く、上で述べたように「それいゆぱたーん」の構想を実験的にこの雑誌で行っていた可能性がある。

実際、写真下の2冊(1949年2月号、4月号)では、表紙絵しか担当しておらず、「それいゆぱたーん」的ページは他の人が担当していた。
これは、既に『それいゆ』が軌道に乗ったことに他ならない証拠ではないか。

しかし、昨年から今年にかけて開催された
『生誕100周年記念 中原淳一展』 (こちらこちら
では、一つも話題になっていなかった。

まぁ、『少女の友』や『それいゆ』・『ひまわり』などに比べれば、仕事としては小さいのかもしれない。(ちなみに、10年前の『没後20年 中原淳一展』の図録も古書店で入手してあるけど、関係する記載がほんの少しの文章で説明があった)

いずれにしても、終戦直後の短い間に自分の雑誌のために試行錯誤をしていたことは、これらをみれば明らかだろう。

なお、茨城県現代美術館で行われた「ひまわりや」代表の中原利加子さんの講演のときに、この雑誌について聞いてみたら、「珍しいですね。原画は失われているので貴重です」といったことを言っていただいた。
そしたら、あっしの周りにいた人が集まってきて「ちょっと見せてください」というので、どうぞどうぞ。
中には「あなたは研究者か何かですか?」なんて聞いてくる人もいた。
ただの、変なおっさんです。ハイ(笑)

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