あまり知られていない中原淳一の仕事 『婦人文庫』
中原淳一といえば、
・少女の友
・それいゆ
・ひまわり
・ジュニアそれいゆ
といった雑誌の仕事や、ファッションそのもの、ファンシーグッズなどの先駆けなどで知られている。
『少女の友』は大東亜戦争に突入する前年に軍部からの圧力で雑誌から降板している。
したがって、戦後は『それいゆ』から始まったということになる。
『それいゆ』は、中原淳一が全面的に手をかけて出版した最初の雑誌であるから、確かにその通りであろう。
ちなみに、『それいゆ』(創刊号では『ソレイユ』)が発売されたのは終戦からちょうど1年後の1946年8月15日である。
ところが・・・。

この写真の雑誌は、『婦人文庫』というもので、1946年5月創刊である。
鎌倉文庫という出版社の発行であるが、川端康成が大いに関係しているらしい。
また、川端康成は、小説『乙女の港』の挿絵を中原淳一が手がけていたりしたことから声をかけたのであろう。
なお、手元には、1946年6月号(5月20日発行)の創刊第2号からがある。(写真左上)
つまり、創刊号はおそらくひと月は前であろうから、1946年4月には発行されているはずだ。
創刊第3号(1946年7月号)から、中原淳一の表紙絵に変わっている。右下のものは1949年の4月号(3月発行)なので、少なくとも3年以上は表紙絵を担当していることになる。
画風は初期の『それいゆ』のように、輪郭線をほとんど強調しない柔らかな感じを醸している。
さらに、驚くのは、

創刊第2号では表紙絵は担当していないものの、『それいゆ』の連載でも有名な「それいゆぱたーん」を彷彿とさせるファッションページを描いているのである。
タイトルは、「モンペやゆかたで出来たドレス」。
中原淳一得意の、生地の使い回しやちょっとした工夫で新しいモノを作り出す、というやつ。
中原淳一自身は、1945年8月に復員してから、自らが理想とする女性のための雑誌『それいゆ』を出そうとして奔走していた時期であろう。
ただし、タイミングとしては、雑誌に登場するのは『婦人文庫』の方が早く、上で述べたように「それいゆぱたーん」の構想を実験的にこの雑誌で行っていた可能性がある。
実際、写真下の2冊(1949年2月号、4月号)では、表紙絵しか担当しておらず、「それいゆぱたーん」的ページは他の人が担当していた。
これは、既に『それいゆ』が軌道に乗ったことに他ならない証拠ではないか。
しかし、昨年から今年にかけて開催された
『生誕100周年記念 中原淳一展』 (こちら・こちら)
では、一つも話題になっていなかった。
まぁ、『少女の友』や『それいゆ』・『ひまわり』などに比べれば、仕事としては小さいのかもしれない。(ちなみに、10年前の『没後20年 中原淳一展』の図録も古書店で入手してあるけど、関係する記載がほんの少しの文章で説明があった)
いずれにしても、終戦直後の短い間に自分の雑誌のために試行錯誤をしていたことは、これらをみれば明らかだろう。
なお、茨城県現代美術館で行われた「ひまわりや」代表の中原利加子さんの講演のときに、この雑誌について聞いてみたら、「珍しいですね。原画は失われているので貴重です」といったことを言っていただいた。
そしたら、あっしの周りにいた人が集まってきて「ちょっと見せてください」というので、どうぞどうぞ。
中には「あなたは研究者か何かですか?」なんて聞いてくる人もいた。
ただの、変なおっさんです。ハイ(笑)
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