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2014.09.16

『闘』 (幸田文著) を読む

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あっしが幸田文を知ってから、この文庫を見つけるまで結構時間がかかった。

幸田文は今でもいくつかの文庫は入手が容易で、大抵の書店では棚に何冊かは揃っている。でも、この『闘』はブックカバーの後ろ側についているラインナップからは削除されていて、つまり、もう絶版になっていたのだ。

良く行くいくつかの古書店でもなかなか見つけられなかったわけ。

おそらく、題材が古いこともその一因なのではないかと思う。

『闘』のメインテーマは、結核療養患者とその周辺人物の織りなす人間模様とでも言いましょうか。死という雰囲気の漂う専門病院の病棟では、病気と人間の闘いが繰り広げられていて、それに勝つ人、負ける人、どちらなのか分からない人、それぞれの模様が活写されている。

もはや、結核は国民病でもなく、死の病でもない。だけど今でも時たまTVで感染者が出たといったニュースが流れるから根絶された病気ということでもない。そういう意味では題材が古く、時代に合わなく、病気そのものさえ軽く見られることがあるから、復刊されないのかもしれない。

しかし、現代でいえば、病死の三大要因である癌がそれにあたるといえるのではないだろうか。
癌だって少し前は、死と直結した病であったはずであるが、医療の進歩によって、まだまだ時間はかかるであろうが、結核克服の辿った道のようになることが夢ではない。

さて、あらすじはというと。

いきなり結核専門病院に来て、大喀血してしまう人から話は始まる。
この人が話の主人公かと思えば、あっさりと亡くなってしまう。

全12章からなるこの本では、各章で異なる患者の闘病記の体裁をとっている。そして、全章を通じて登場するのが別呂省吾という10年もこの病院で最も長く療養している患者である。強い意志を持ち病気と対峙する男であり、この本の通底音といえる。

省吾は多くの患者の闘病の様子を自室に流れてくる噂を批評する。いずれも省吾にとって、他人の闘病はほんの一瞬の出来事でしかない。自らの強さを恃む省吾は度々の自身の危機にもその都度立ち向かい、ほんの少しの差で病に勝ち続ける。病院の人々は、そんな男の姿に賞賛を送るが、結局はほんの少しの差で負け、物語は終焉となる。

闘病は患者のみの話ではない。それを支える医療関係者、さらには患者の家族にも大きな負担をかける。おそらく、家族の部分については幸田文の実弟成豊が結核で亡くなったことも念頭にあるだろう。小説『おとうと』における看病記の部分にだぶる部分も垣間見える。患者家族の内部事情についても詳しく書かれる部分が散見される。つまり、闘病記としてはすべてが明白になっていなければ完結し得ないと思っていたからだと思う。

また、患者にとっていえば、病院における生活は、健常者の生活時間と同じではないことが示される。これには目が開かれた思いだった。闘病中の時間は患者にとっては健常者と同じ時間が流れているのだが、健常者にとっていえば患者の時間は止まっている時間なのである。長ければ長いほど健常者が費やした時間に追いつくことが難しくなる。せっかく回復したのにもかかわらず、退院直前に自殺してしまう患者の話にも1章を割いている。

人間は自分の考えていることさえ十分には把握できない。まして、他人のことなぞその十分の一にも満たなくたって不思議ではない。そういう点では、この本はある程度視点を分散し、多方面から闘病の実態をわかるように配慮しているともいえる。

そしてまた、こう書かれている。

「今までの平和は、こんなにも薄手な基盤の上に築かれていた」

平静な生活は薄氷の上にある、ということを今一度考えるべきである。
一度氷が割れれば、極寒の水がら這い上がることは至難の業となることもあるのだ。

『闘』 幸田文著
新潮文庫

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