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2014.10.27

赤瀬川原平さんが亡くなった

言葉が出てこないです。

思いもよらぬモノの見方を教えてくれた。

ご冥福をお祈りいたします。

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2014.10.26

『五重塔』 (幸田露伴著) を読む

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幸田露伴の代表作といえば、本作であることを疑う人はいないであろうが、実際に読んだ人は多くないのではないか。

かくいうあっしも大分前に文庫本を買っていたのだけど、最初のページで読む気が失せた。
現代からみれば雅文調というか、出てくる単語も難しい。振り仮名は振ってあるけど、一番目のハードルを越えるのに物凄く集中力がいる感じ。

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あらすじはというと。

大工の腕はあるが仕事がおそく世事に疎くて「のっそり」とあだ名される十兵衛。
十兵衛の親方で、谷中感応寺を建てたことがある源太。
感応寺の上人はでは新たに五重塔の建立を源太に依頼する。それを聞きつけた十兵衛は上人に自分にやらせてほしいと自ら作った雛形を持参し直談判する。
上人は二人を呼び寄せ、兄弟が力を合わせて川を渡ったという法話を聞かせ、話し合いで結論を出すよう促す。
源太は二人で塔を建てようと十兵衛に進言するが、十兵衛は源太一人で建てるよう固辞した。翌日、その経緯を上人に報告すると、既に十兵衛も同様に報告したとのこと。それを聞き、源太は十兵衛に塔の建立をすべて任せることを決め、見積もりや図面をすべて渡そうとするが、十兵衛はそれも固辞する。
自ら棟梁となった十兵衛は、陰口をたたかれていることを知りながらも地道に作業を進めるが、源太の弟子から襲われて大怪我を負う。女房から休めといわれる十兵衛であるが、耳を貸さずに現場へ赴くことで職人達も十兵衛を見直すことになる。
ようやく五重塔も落成に近づいた頃、大木や家屋を倒すほどの大嵐がやって来る。感応寺からは塔も倒れるのかと心配し、十兵衛に使いを寄越すが、上人様が自分を呼ぶはずがないし、塔も倒れはしないと追い返す。それでも上人様が呼んでいると嘘をつかれ、十兵衛は死ぬ覚悟で塔に上る。その時、塔の周りを歩く者があった。源太であった。
大嵐にも耐えた五重塔は無事落成式も済み、上人は十兵衛と源太を塔の上に呼び寄せ、二人の名前を書き記し労うのであった。


とまぁ、こういうことなんですが、信念、嫉妬、協力、自信、軽蔑、疑念、ありとあらゆる感情が渦巻く、結構おどろおどろしい物語だったのでびっくり。

それ以上に、物事にこだわることの重大さ、一徹さが人間関係を上手くするのではないという逆説的な話なのである。(物語としては一件落着となるのだけれど)

自分がすべきこと、相手に求めること、押しと引き。
自分の能力を自分で正当に評価することは難しい。すべては相対的であり、第三者の眼に委ねられる。この物語では、上人の眼が大所高所を弁えたものであるが故に、十兵衛や源太の行動の是非を読者が判定することの助けになる。
我欲に囚われる人々のぶつかりとも思える話であるが、どちらが正しいとも間違いとも言うことができない。

五重塔の世界も、過去も現在も、未来も多分変わらないのだろう。


最後に一つ言いたいのは、読みにくくても、意味がとれない部分があってもそのまま読み切るべし。やがて歌うような文体であることが分かり、酔うような印象を持つだろう。


蛇足:

カバーには「幸田露伴作」となっているが、
見開きには「蝸牛露伴著」となっている。
何故異なる記載になっているのかは分からない。
(なお、露伴の号は蝸牛庵だから間違っているのでは無いけれど)

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『五重塔』 岩波文庫
幸田露伴著

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2014.10.21

『月の塵』 (幸田文著) を読む

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没後に発表された随筆集。

父幸田露伴のこと。自然や季節のこと。奈良法輪寺三重の塔のこと。生活のこと。

やはり、大きいのは父から受けた教育だと思う。子供の頃から家事一般を教えられ、結婚から離婚を経て再び父と生活を共にし看取るまで。結局は自身の芯は、意識しなくても露伴の大部分を受け継いだものとなる。

実のところ、父が亡くなる直前まで自分が父から愛されていないと思っていたということを『父 -その死-』の中で記している。愛らしく聡明な長女歌。男児と期待されて誕生した次女文を、そのとき母の幾美がほろほろと泣いたということも自伝的随筆である『みそっかす』の冒頭部分に記している。

にもかかわらず、文豪としての父、早くに亡くなった生母幾美の代わりも務めた家長としての父の両方を自らに取り込むことになったのである。(幾美没後に再婚した継母は持病のため家事ができなくなったため)

幸田文の作文は父の死の直前から始まる。父からの文章教育に関しては実質皆無である。その後文筆を生業とすることができたのは、良くも悪くも父の記憶、それまでの生活の記憶によるものだろう。(なので、父に関する話、生活の話に関してのネタが尽きると、断筆を宣言するに至るのである)


さて、本書の中で一編を採り上げるとすれば、「塔」という作品。
この作品はいくつかの点で過去と未来の交錯するものとなっている。

塔とは、自らも再建に奔走した奈良法輪寺三重塔のことであるが、塔への想いは露伴の代表的作品『五重塔』へも言及している。五重塔のモデルとなった谷中天王寺の五重塔は心中放火による焼失、法輪寺三重塔は落雷により焼失という共通点がある。

法輪寺の再建に関わり、この随筆が発表されたのが1966年1月。

そこにこう書かれている。

「ものの生し立のをみるのは、老いてはひとしおうれしく思うのである。老いて逢いたくない縁は、崩れをみること、消失を見ることである。」

このとき幸田文は62歳。
現代ならばまだまだ自らを「老い」の範疇に入れるのをためらうことだろう。その上で「崩れ」「消失」を避けたい想いを隠しきれない。

ところが、10年後にそれは一変する。
たまたま静岡県安倍峠にカエデを見に行った際、大谷崩れに立ち寄り、その圧倒的な様を目の当たりにしたことで「崩れ」に対する態度が180度回転するのだ。以降、富士山の大沢崩れや、その他数々の崩壊地を見に行き、驚異の作品『崩れ』が生まれるのだから不思議なものである。

露伴の五重塔から法輪寺三重塔へ。
自身の老いと「崩れ」の忌避。
そして、「崩れ」の忌避から情熱へ。

図らずも、老いを認識した時点からみた「過去」「現在」、そして「未来」への逆予感というものが表れた、意識しなかった転換点だったようである。


幸田文の作品をある程度把握していなければ、見逃してしまいそうな一寸した記述なのだけれど、他の作品を読んだ後に本書を読んだこともまた不可思議な繋がりを感じるのである。


『月の塵』 講談社文庫
幸田文著

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2014.10.14

『カエルに喰われた男』 街中の劇物 2014-06

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どこで撮ったのかもう忘れてしまったが、2006年のこと。

どっかのガード下にある自動販売機の横にあるゴミ箱のすぐ前に、並べられたサンダル。

ちょっと離れた所から見てみたら、ゴミ箱がサンダルを履いていた男を食ってしまったようだった。

しかも、そのゴミ箱は、缶やペットボトルを入れる穴の感じからカエルのように見える。

食い終わったカエルは、あまりの旨さに涙をこぼしたようだった(笑)

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2014.10.11

思い切らないと買えない本

小説や雑誌のように、買おうと思えばいつでも買えて、読もうと思えばいつでも読めるものは、値段もそんなにしないし、気楽に手が出せるのである。 (もちろん、店頭に並んでいたり、ネットで入手できたりすればの話)

根本には、「読みたい」から買うのであって、それが「積ん読」になってしまうのは、また別の話。

しかし、それ以外の本、例えば資料として必要だったり、というものは、何かと天秤にかけなければ手を出しづらい。当たり前の話だけど。

特に、辞書はそういう範疇の本だろう。
おそらく、多くの人は、新入学などを契機に新しい辞書を買う。最初は国語辞典。次は英和辞典、古語辞典か。

でも、社会人になってからは新たに買うことはほとんどないのではなかろうか。
かくいうあっしも、卒業後は小型の国語事典、漢和辞典、英和/和英辞典を買い足したくらいで、いずれも既に20年近く前の話。


さて、それから幾星霜。

もともと漢字に興味を感じていたあっしは、白川静の漢字学を知り、関連書籍を読んだりしていたのだが、『字統』『字通』という大判の辞典を買うまでには至らなかった。

(ちなみに、これらの古書価格はこちらを

そうこうしているうちに、『字通』の普及版が発売されることになり、価格自体も大判の半分以下となってお手頃感倍増(笑) 
我慢できずに、発売直後に入手。


それとは別に、小説を読んでいると未だに意味の分からない言葉に遭遇することが多い。特に、最近集中的に読んでいる幸田文の文章には、明治生まれ東京育ちで当時使われていて、もう廃れてしまった言葉や、東京方言が多く、滑らかに読めないこともしばしば。

しかも、持っていた『新明解国語辞典(第四版)』には載っていない。
やはり小型辞書の限界を感じてしまった。

ということで、とうとう手を出してしまいました。

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あははは。
それぞれ、今後何回ページをめくるか分からないけど、それはそれでいいんです。
安心感ですから。

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2014.10.08

『二重の間違い』 街中の劇物 2014-05

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2003年に、確か神田小川町か淡路町の十字路付近にあったコインパーキングで撮ったモノ。

コインパーキングの値段やら精算機は別にあって、これはコインパーキング開設のための看板らしい。

しかし、うっかりすると見逃してしまうが、間違いがあります。

さて、どこでしょう。

20141008b

24Hours, (24時間)
365Days A Year, (1年365日)
¥100/MINUTES (100円/分)

えっ?

1分で100円?

超高級コインパーキングか?

まぁ、第一の間違いはここですね。

もう一つの間違いは、細かいことですが、

1分で100円ならば、

¥100/MINUTE

にはるはずです。
1分は、単数ですから。 ("MINUTES" は複数形ですもん)

ということで、二重の間違いがある看板、でした。
あぁ、説明がめんどくさい(笑)

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