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2014.10.21

『月の塵』 (幸田文著) を読む

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没後に発表された随筆集。

父幸田露伴のこと。自然や季節のこと。奈良法輪寺三重の塔のこと。生活のこと。

やはり、大きいのは父から受けた教育だと思う。子供の頃から家事一般を教えられ、結婚から離婚を経て再び父と生活を共にし看取るまで。結局は自身の芯は、意識しなくても露伴の大部分を受け継いだものとなる。

実のところ、父が亡くなる直前まで自分が父から愛されていないと思っていたということを『父 -その死-』の中で記している。愛らしく聡明な長女歌。男児と期待されて誕生した次女文を、そのとき母の幾美がほろほろと泣いたということも自伝的随筆である『みそっかす』の冒頭部分に記している。

にもかかわらず、文豪としての父、早くに亡くなった生母幾美の代わりも務めた家長としての父の両方を自らに取り込むことになったのである。(幾美没後に再婚した継母は持病のため家事ができなくなったため)

幸田文の作文は父の死の直前から始まる。父からの文章教育に関しては実質皆無である。その後文筆を生業とすることができたのは、良くも悪くも父の記憶、それまでの生活の記憶によるものだろう。(なので、父に関する話、生活の話に関してのネタが尽きると、断筆を宣言するに至るのである)


さて、本書の中で一編を採り上げるとすれば、「塔」という作品。
この作品はいくつかの点で過去と未来の交錯するものとなっている。

塔とは、自らも再建に奔走した奈良法輪寺三重塔のことであるが、塔への想いは露伴の代表的作品『五重塔』へも言及している。五重塔のモデルとなった谷中天王寺の五重塔は心中放火による焼失、法輪寺三重塔は落雷により焼失という共通点がある。

法輪寺の再建に関わり、この随筆が発表されたのが1966年1月。

そこにこう書かれている。

「ものの生し立のをみるのは、老いてはひとしおうれしく思うのである。老いて逢いたくない縁は、崩れをみること、消失を見ることである。」

このとき幸田文は62歳。
現代ならばまだまだ自らを「老い」の範疇に入れるのをためらうことだろう。その上で「崩れ」「消失」を避けたい想いを隠しきれない。

ところが、10年後にそれは一変する。
たまたま静岡県安倍峠にカエデを見に行った際、大谷崩れに立ち寄り、その圧倒的な様を目の当たりにしたことで「崩れ」に対する態度が180度回転するのだ。以降、富士山の大沢崩れや、その他数々の崩壊地を見に行き、驚異の作品『崩れ』が生まれるのだから不思議なものである。

露伴の五重塔から法輪寺三重塔へ。
自身の老いと「崩れ」の忌避。
そして、「崩れ」の忌避から情熱へ。

図らずも、老いを認識した時点からみた「過去」「現在」、そして「未来」への逆予感というものが表れた、意識しなかった転換点だったようである。


幸田文の作品をある程度把握していなければ、見逃してしまいそうな一寸した記述なのだけれど、他の作品を読んだ後に本書を読んだこともまた不可思議な繋がりを感じるのである。


『月の塵』 講談社文庫
幸田文著

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