『動物のぞき』 (幸田文著) を読む

動物園は何故だか哀しい。
そう思うのは自分だけだろうか。
大自然にいるはずの動物たちが、塀や網に囲われ、自らエサを獲ることも叶わず、人間の庇護の元生きていく場所、という概念が染みついているのだ。
しかし、幸田文の目を通すと、そんな動物たちにも暖かな眼差しが注がれる。
見逃してしまいそうな行動を見つけ、人間が枠にはめている動物の概念を取り外してくれる。
目から鱗を落としてくれるのである。
それでも、冒頭の「類人猿」の中ではこう書かれている。
「私の動物に対する愛情には身勝手という点にかけては相当なわがままがあって恥ずかしい」
「かわいく思うことは酷いということと、じつに紙の裏表である」
著者の心の底にも動物園という特殊な場所、あるいは、動物を飼うということに対する根本的な引け目があったと思われる。逆に言えば、そういう感情が無ければ、単なる無責任な人間と動物の主従関係があるだけなのであろう。
また、著者は「獣」を「毛もの」と定義している。つまり、全身に毛の生えている動物が毛ものであり獣なのだ。なるほど、言われるまで気がつかないでいた。我々は動物をよく観察しているようで、何も見ていないではないかと突っ込まれている気分になった。なぜなら、爬虫類は毛ものではないからだ。
動物園にいる動物は、人間の庇護の元にある。
著者は裏方の人々の話を聞いて回り、通常は立ち入ることのできない場所から動物を見る。観客として見る動物は愛らしく、あるいは、気味が悪く感じるだけであるが、それは距離や檻があるからである。裏方の人々にはそれらは無く、近くで給餌したり、部屋の清掃をしたりするのであるから、一瞬の気の緩みが起きれば自らの命に関わる場合もある。逆に、逃走を許してしまうことも無いわけではない。それでも、各々の動物と担当者の間にはそれ相応の心の繋がりというか、仲間意識が生まれてくる。そういった話を聞き、裏方の人々の動物に対する愛情に著者は涙するのである。
本書には直接関係ないが、シンガーソングライターのイルカの曲に『いつか冷たい雨が』がある。その歌詞の中には、
「人間だけが偉いだなんてことだけは思わないでください」
とある。生き物と生き物、あるいは食物連鎖の上下関係など、ヒトが最上位にいるなどと思い上がった考えは傲慢である。
けれども、動物園は知らず知らずのうちに観客自らを最上位に位置づけてしまう。動物たちは決して望んでそこにいるわけでは無いのだ、と考えることもまた傲慢なのだろうか。
動物園と動物。
この奇妙な場所に生きていることが、いいことなのか悪いことなのか、考えてみても始まらないけれど。動物たちの側から動物たちと相対してみることもまた必要なのだろう。
そのためには、人間のエゴを自覚しなければならないのだろう。
さて、本書は幸田文没後で最後に刊行された単行本(の文庫)のようだ。
ということは、あっしはこれで文庫化された幸田文の本はすべて読んだことになる。(たぶん24冊)
長かった。
思えば、幸田文を知ったのがほぼ1年前。
それから新刊書店、古書店などを回って、この本を入手したのが10月初め頃だったろうか。
幸田文については色々と語りたいことがあるのだけど、それはまた別の機会に。
(既読本についても、そのうち書くかも)
『動物のぞき』
新潮文庫
幸田文著
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