2015.05.17

『特別展 上村松園 生誕140年記念 松園と華麗なる女性画家たち』 (山種美術館) を観る

上村松園の絵は、国立近代美術館で「母子」、東京藝術大学美術館で「序の舞」を観たことがある。(いずれも重要文化財)

いずれも女性がモデルであり、清らかな、いわゆる松園顔とでもいうのだろうか。どの画家でもそうだけど、顔には特徴が表れる。顔を観るだけで画家の名前が浮かぶというものだ。

先の2枚の絵を観て気に入ったので、ミニ画集を入手したりした。

今回、山種美術館が所有する松園の18作品を一挙公開ということで、ワクワクしながら恵比寿駅を降りる(笑)

でですよ。

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( ↑ クリックすると拡大します )

例えば、このポスターに使われている「新螢」。
御簾から顔を覗かせて膝元を飛ぶ螢を追う。
団扇で口元を隠し、たおやかな姿の半身を現している。

これだけでも十分に来た甲斐があったというモノだ。

「牡丹雪」
画面の1/4の左下に描かれた2美人。
重さを感じるように雪で白くなっている傘と、手元を着物で隠して寒さをこらえている様子。

他の絵も、凜とした姿であったり、内面の力強さと清廉さを併せ持つ姿であったりと、まとめて観ると、いかに女性の表情や仕草の表現に心をくだいていたかが分かる。

とかく伝統芸能の世界は男性社会であり、松園が帝室技芸員になったのは女性で二人目であり、野口小蘋との二人しかいない。元々女性画家が少ないということもあったかもしれないが、男社会の中で伍していかなければならないプレッシャーはいかほどのものかと思われる。

とはいえ、作品からはそんなことは一切感じさせない魅力を放っている。
放っているからこそ、美人画の中で確固たる位置に松園がいるのだろう。

Google Cultural Institute にある上村松園作品

『特別展 上村松園 生誕140年記念 松園と華麗なる女性画家たち』
山種美術館
~2015/06/21

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2015.03.22

『一刻も早く! 戦場からの患者搬送』 (しょうけい館) にて、三角巾の使い方を教わる

お茶の水の本屋に立ち寄る前に、九段の昭和館でやっている『戦後70年 よみがえる日本の姿』という企画展と常設展を見た後、受付でパンフレットを見つけて、しょうけい館でも新しい企画展をやっているとのこと。

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昭和館から書店街に行く途中(というか昭和館から横断歩道を渡ればすぐ)に「しょうけい館」がある。
(入口は表通りにではなく、小道を入ったところにあるので分かりにくい)

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『一刻も早く! 戦場からの患者搬送』

というタイトルで、戦地での傷病者を如何に治療、後方への搬送するか、といった内容となっている。
具体的には、

1.患者集合点 : 傷病者が最初に集まる指定場所。臨時の包帯所となる場合もある
2.包帯所 : 応急手当をしたり、野戦病院への搬送拠点となる
3.野戦病院 ; 前線に近く、本格的な治療が行える
4.兵站病院 : 市街地にある病院
5.転地 : 患者自動車・患者飛行機・患者列車などを使用
6.故郷へ : 内地への帰国

といった順番でそれぞれパネルと説明書きがあった。
戦地では戦うことだけが注目されがちだが、怪我や病気などで戦闘に参加できなくなった兵士を速やかに治療し、後方へ送るかも重要な問題である。おそらく、補給と共に二本の柱といったところなのではないか。

あっしが展示場所に入ったとき、たまたまギャラリートークの3/4が終わったあたりで紛れ込んでしまった。

で、その残りの1/4は、応急治療法に関する当時の資料に関して。

その中には、今と違って、心臓が止まっていれば「死んでいる」、心臓が動いていれば「仮死」、意識があれば「大丈夫」、といった分類みたいなものだったという。

また、人工呼吸に関しては、主に溺れた人に対して行うもので、一度始めたら5時間は続けなければいけない、なんて決まりがあったそうだ。 (ただし、実際に5時間続けた人の話は聞いたことがないそうだ)

そのあと、応急処置法の中に書いてある「三角巾の使い方」の話になり、どういうことか、トークを聞いていた人たちに三角巾が配られた(笑)

続いて登場した女性が、看護師もやられたいた(?)研究者の方で、三角巾の使い方を研究されているそうな。
そのために、何十万もする書物を自腹で(研究費でまかなえないので)買うほどの人。
今では腕を骨折したら、それ用の釣り具があるから病院でも三角巾を使うことはなくなっているらしい。

配られた三角巾はこれ。

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(クリックすると別ウィンドウに拡大表示します)

なんと、しょうけい館オリジナル。
下側に人物が描かれているのが分かるでしょうか。
よくよく見ると、多くの人が三角巾を使っているのです。
しょうけい館オリジナルではありますが、この絵の部分は当時実際に使用されていた三角巾の絵柄をトレースしたものだそうです
なぜ、このような絵柄が描かれているのかというと、理由があります。

例えば、左側にいる二人の人物を拡大してみると、

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右側の人物は、右目から右耳にかけて三角巾を使っているようです。 (二)
左側に人物は、、右膝(五)と左手(七)。

というように、使っている場所のすぐそばに漢数字が書いてあります。
実は、この数字が三角巾の巻き方(使い方)を示しているのです。
(別の解説書に細かい巻き方が書いてある(らしい))


中央下少し右の人は、左足を骨折しているようですね(十六)
副木を留めるために使っているみたいです。

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その上にいる人物は、よく見ることのある腕骨折の人のようです(十七)
手を吊っています。
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少し右側の人も手を吊っていますが、骨折ではなく、手の部分も覆っていることから、手の甲を負傷しているのかもしれません(二十四)

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あっしも、他の人とペアになって、お互いに手を吊ったり、太腿を止血したり(笑)

三角巾がなければ、風呂敷でも代用できるので、一度自分で試してみるのもアリですよ。

使わないで済めば、それが一番いいことなんですけどね。

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2015.01.11

山種美術館と弥生・竹久夢二美術館へ

今日は、

・山種美術館 『東山魁夷と日本の四季

・弥生美術館 『生誕120年 時代小説の挿絵画家 小田富弥展 ~怪剣士・丹下左膳あらわる!~
・竹久夢二美術館 『竹久夢二と乙女のハイカラらいふ展  ~大正時代の女学生・職業婦人・淑女たちの憧れ~

を観に行った。

感想は別途アップします。

弥生・竹久夢二美術館では、ギャラリートークがあり盛り上がりました。

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2015.01.07

イルカつながり

元日の大洗水族館を出るときに、見つけたパンフレット。

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まさか、「イルカつながり」を意識して置いたわけではないと思うが、

『伊勢正三 & イルカ ~二人の物語~』

ですと。

そういや、あっしは未だにイルカの曲聴いてますが、なにか?

なごり雪、雨の物語、海岸通り、いつか冷たい雨が、ちいさな空、・・・・。

生演奏を聴いてみたいなぁ。

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2015.01.05

元日の大洗水族館へ

昨年、一昨年に続き、元日は大洗にある水族館へ。
何故かといえば、入場料金が半額になるから・・・。

さて。

館内を見て回ろうとしたら、いきなり、

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アシカの書き初めということで、「育毛」「責任」「美白」「婚約」「整腸」などという、およそ関係ないだろう単語が採り上げられていた。

初笑い、だ。

多くの人は、あまり気にしないで通り過ぎてしまっていたから、もったいないなぁなんて思ったよ。

水族館でいつも気になるのは、やっぱり「クラゲ」。
クラゲはいいな。癒やされる。

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中にはこういったピカピカ光るのもいる。
自分で発光しているのでは無く、照明の反射だそうで、その具合によって七色に変化しながら泳いでいるから、みんな立ち止まって見入っている。

あっしは、何度も何度も行き来しつつ、他の所を見てもまたここに戻ってきて暫く見たりしていて、多くの時間をこのくらい空間で費やしていた。

午後2時くらいに到着したので、アシカ・イルカショーは最終回を見る。

イルカが登場したときは、『なごり雪』を歌いながら出てきたのでとてもビックリした。(←嘘です)

やっぱり、ジャンプは見応えがありますね。

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最後にこれを。

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(実際はこんなに早く変化はしていません(汗))

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2014.12.17

幸田文の話はまだ続く

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幸田文。

その評論書というか、研究書というか、関連書も含め、大分手を広げて入手。
もちろん、半分以上が古書であります。
(順不同で並べてあります)

「幸田文」のみを扱った本もありますが、大勢の一人や、父である幸田露伴との交遊録に登場している姿であったり、娘である青木玉の随筆、孫である青木奈緒の随筆もあります。

一応、左から

・東京人 1996年1月号(創刊100号記念) 特集「幸田家の人びと」明治の遺産。
・『作家の猫』
・『明治・大正・昭和の女流文学』 板垣直子著
・『文藝別冊 幸田文 没後10年』
・『文藝別冊 幸田文 生誕110年、いつまでも鮮やかな物書き』 (上の文藝別冊の増補改訂版)
・『幸田文の世界』 金井景子/小林裕子/佐藤健一/藤本寿彦著
・『新潮日本文学アルバム 幸田文』
・『日本の作家100人 人と文学 幸田文』 岸睦子著
・『幸田文のかたみ』 深谷考著
・『幸田文「わたし」であることへ』 藤本寿彦著
・『女性作家評伝シリーズ13 幸田文』 由里幸子著
・『幸田文のマッチ箱』 村松友視著
・『幸田文展図録』
・『幸田文の簞笥の引き出し』 青木玉著
・『小石川の家』 青木玉著
・『幸田家のきもの』 青木奈緒著
・『蝸牛庵訪問記(露伴先生の晩年)』 小林勇著
・『幸田家のしつけ』 橋本敏男著
・『帰りたかった家』 青木玉著
・『記憶の中の幸田一族 青木玉対談集』 青木玉著

です。

ホント、それぞれについて一文を載せたいくらい。

『幸田文の簞笥の引き出し』『幸田家のきもの』という題に表れるように着物に関しては、一生を着物で通した人なので、まつわる話が多く、前者は写真も豊富で楽しい。
(ただし、あっしが着物全く詳しくないので、おそらく面白さの半分ももらっていない気がするけど(汗))

『蝸牛庵訪問記』は、当時岩波書店の編集部員であった小林勇氏が、露伴を訪う度に記録した日記のようなもので、大正15年から昭和22年までの記録である。(なお、小林勇氏はのちに岩波書店の取締役会長になった)
この記録の中で時々登場する幸田文は、夫との生活に悩む姿や、離婚後に露伴の生活を支える姿であったり、看取る姿としてとらえられている。
間近な第三者として貴重な証言者のひとりとなっている。

幸田文の娘である青木玉もまた貴重な証言者である。
これは奇しくも、露伴に対する文、という生活者から文学者への変貌という関係を目の当たりにしたことに相当する。
だから、「文が記す露伴の思い出」と「玉が記す文の思い出」が呼応するようで非常に面白い。


とまぁ、まだまだ書きたいことがたくさんあるんだよ~~~!

そのうちにね(笑)

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2014.11.28

『幸田文展 会ってみたかった』 (世田谷文学館) を観る

何故、あっしが「幸田文、幸田文」と書き込んでいるかといえば、きっかけはこの展覧会を観に行ったことによる。

去年の今頃、たまたま招待券が当たって、場所も世田谷文学館なので行ったこともあるし、ということで、足を運んだのだ。

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しかし、幸田文の名前は、というか、漢字の並びは知っていたものの、「あや」と読むのか「ふみ」と読むのかはっきりしないという有様。『うる星やつら』のラムちゃんの声優さんは「平野文」で、こちらもどう読むのか判然としなかったけど、逆であることは何となく分かっていた。
なので、幸田文が「あや」ならば、平野文が「ふみ」であることが、あっしの脳味噌の中で確定したのである(笑)

幸田文その人については、幸田露伴の娘だか孫だかで、『小石川の家』という本と関係あることくらいしか知らず、実質的にはほとんど何も知らないに等しい状態だった。
(なお、幸田文は幸田露伴の娘。『小石川の家』は幸田文の娘である青木玉の作品であり、小石川の家とはこの三人が暮らした家(蝸牛庵)のこと)


幸田文の人生は、誕生から結婚生活まで、離婚から露伴の死まで、文筆生活の開始から亡くなるまで、と大雑把に分けることができる。

明治37年(1904年)に生まれ、平成2年(1990年)に亡くなる。
幸田文には姉の歌、弟の成豊がいたが、母が亡くなり歌は夭逝、露伴が再婚後に成豊も結核で亡くなっている。つまり、露伴には文しか残されなかったわけである。

継母との仲も芳しくなく、継母の病気もあり、尋常小学校を卒業し女子学院入学後に家事一般を露伴から学び家庭を支えていくのである。そうはいえ、露伴の家事教育は理論的かつ厳しく、その様は何度も何度も文の作品に登場する。

24歳の時に酒問屋の三男と結婚し一女(のちの青木玉)をもうけるが、家運が傾き廃業。自ら小売り酒屋を営むもうまくいかず、10年後に離婚し露伴家に戻る。

露伴没後、その思い出を綴ることで評価を受けることになるものの限界を感じ、一時断筆宣言をして、芸者置屋で女中として働くなど、自らの生き方に迷った時期もあったのだが、その後は再び作品を発表するようになり、女中の経験を生かした『流れる』で新潮文学賞、日本芸術院賞を受賞するなど、人気を博した。
また、奈良法輪寺三重塔の再建に奔走したことでも知られる。


とまぁ、簡単に書けばこんな所なのだろうけど、実際の展示物から受ける迫力というか、生き方の力強さというか、思わず後ずさりしそうな感じを受けたのだ。
あっという間に惹き込まれ、いわば一目惚れ(笑)

また、一生を着物で通した人であり、展示されていた着物もガラスケースの前でうなるほどの存在感だった。(別の場所でも自らデザインした着物も飾られていて、そちらも見事だった)

自分の興味のあることには、足を運び、話を聞き、笑い、泣き、とエネルギッシュな面も見逃せない。捕鯨船に乗り李承晩ライン近くまで行ったり、背負われてでも山を登り崩れゆく地形を見に行ったり。自然に接する目は温かく、そして本質を見逃さない。

あぁ、ノックアウト!

本当に、会ってみたかった!

20141128b

これはミュージアムショップで購入したもの。
左側の餅と和紙は別として、「KODA AYA」と書かれたものは図録で、小さいカードは「おふくわけ」と書いてあり、裏に幸田文の作品からとられた文が書かれている。

図録はあまり見ないデザインであるが、何なのかというと、
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二重構造になっており、つまり、マッチ箱を模しているのだ。
これは展示物にもあったのだけど、昔の配り物の小さなマッチ箱に文自身がいろいろな千代紙を貼ってコレクションしていたものに由来する。だから、カエデをデザインした外箱から中の図録本体をスライドして取り出す、というわけ。すると、マッチが描かれている図録が出てくるという寸法。(ちなみに茶色い部分はマッチを擦るやすり部分ね。もはや知らない人がいるかもしれないので書いておくけど(笑))


何故わざわざこれを紹介するかというと、村松友視の著書の中に『幸田文のマッチ箱』というタイトルのものがあるのだ。
(文庫は現在でも入手可能で初めに買ったんだけど、古書店で単行本も買った馬鹿はあっし)
20141128d
編集者(というよりは話し相手として)幸田文邸に訪れた村松氏は、このマッチ箱を気に入り、訪れるたびにもらってきたという。また、幸田文自身も、村松氏の期待に応える形でせっせと貼っていたらしい。
(なお、この本の表紙のデザインは竹久夢二のデザインです)


もう、何もかもが新鮮かつ強烈な引力であっしの頭をかっさらっていく感じで、展示を観終わるとふらふらだった。
だがしかし、だった。

その後の成り行きは、ここでも書いたように著作を読みあさるということになったわけ。


あぁ、まだまだ言い足りない。
けど、とりあえず一旦筆を置きます。


『幸田文展 会ってみたかった』
世田谷文学館
2013/10/05~2013/12/08

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2014.11.27

『輝ける金と銀 -琳派から加山又造まで-』 (山種美術館) を観る

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日本画には金や銀が豊富に使われている。
元々豊富に産出されることから、使う量も技法も特有のものとなってきたはずだ。

今回の特別展では、琳派特有の金箔地、対象を描く材料としての金銀、そしてそれらの使い方を各テーマごとに展示されていた。

ほとんどが山種美術館蔵なので、一度は観たことがあるか、図録などで見たことがある作品が多かったこともあり、目新しさという点ではさほどではなかった。

しかし、別のことで驚いた。

それは、材質サンプルの比較、技法の違いによる仕上がりの異なり、などが展示されていたことである。
例えば、同じ金箔であっても、純度や厚みによって見え方が違うし、箔で使うか泥にして使うかで輝き方や絵の落ち着きといったものが異なるのである。(実際には10cm前後の比較サンプルではあるが)

当たり前だけど、一枚の絵を観るだけでは使われた材料、技法のものでしか鑑賞できない。しかし、画家が何故その材料、技法を用いて描いたのかを知る手がかりが比較サンプルを用意しておくことで、より深く理解できるのだ。

また、金や銀を使う場所、つまり、背景や主題、あるいは、それらを連結するものとして、テーマを区切ることで日頃見過ごしがちな部分を再確認できるわけ。

こういうサンプルを用いた解説は、油彩画、水彩画などでも可能であろうし、手間は掛かると思うけど陶器や彫刻などの立体作品でもできなくは無い。
観る者が作者の意図を推し量る面白さも倍増するに違いない。

『輝ける金と銀 -琳派から加山又造まで-』
山種美術館
2014/09/23~2014/11/16

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2014.11.22

『動物のぞき』 (幸田文著) を読む

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動物園は何故だか哀しい。
そう思うのは自分だけだろうか。
大自然にいるはずの動物たちが、塀や網に囲われ、自らエサを獲ることも叶わず、人間の庇護の元生きていく場所、という概念が染みついているのだ。

しかし、幸田文の目を通すと、そんな動物たちにも暖かな眼差しが注がれる。
見逃してしまいそうな行動を見つけ、人間が枠にはめている動物の概念を取り外してくれる。
目から鱗を落としてくれるのである。

それでも、冒頭の「類人猿」の中ではこう書かれている。

「私の動物に対する愛情には身勝手という点にかけては相当なわがままがあって恥ずかしい」

「かわいく思うことは酷いということと、じつに紙の裏表である」

著者の心の底にも動物園という特殊な場所、あるいは、動物を飼うということに対する根本的な引け目があったと思われる。逆に言えば、そういう感情が無ければ、単なる無責任な人間と動物の主従関係があるだけなのであろう。

また、著者は「獣」を「毛もの」と定義している。つまり、全身に毛の生えている動物が毛ものであり獣なのだ。なるほど、言われるまで気がつかないでいた。我々は動物をよく観察しているようで、何も見ていないではないかと突っ込まれている気分になった。なぜなら、爬虫類は毛ものではないからだ。

動物園にいる動物は、人間の庇護の元にある。
著者は裏方の人々の話を聞いて回り、通常は立ち入ることのできない場所から動物を見る。観客として見る動物は愛らしく、あるいは、気味が悪く感じるだけであるが、それは距離や檻があるからである。裏方の人々にはそれらは無く、近くで給餌したり、部屋の清掃をしたりするのであるから、一瞬の気の緩みが起きれば自らの命に関わる場合もある。逆に、逃走を許してしまうことも無いわけではない。それでも、各々の動物と担当者の間にはそれ相応の心の繋がりというか、仲間意識が生まれてくる。そういった話を聞き、裏方の人々の動物に対する愛情に著者は涙するのである。


本書には直接関係ないが、シンガーソングライターのイルカの曲に『いつか冷たい雨が』がある。その歌詞の中には、

「人間だけが偉いだなんてことだけは思わないでください」

とある。生き物と生き物、あるいは食物連鎖の上下関係など、ヒトが最上位にいるなどと思い上がった考えは傲慢である。
けれども、動物園は知らず知らずのうちに観客自らを最上位に位置づけてしまう。動物たちは決して望んでそこにいるわけでは無いのだ、と考えることもまた傲慢なのだろうか。

動物園と動物。
この奇妙な場所に生きていることが、いいことなのか悪いことなのか、考えてみても始まらないけれど。動物たちの側から動物たちと相対してみることもまた必要なのだろう。
そのためには、人間のエゴを自覚しなければならないのだろう。


さて、本書は幸田文没後で最後に刊行された単行本(の文庫)のようだ。
ということは、あっしはこれで文庫化された幸田文の本はすべて読んだことになる。(たぶん24冊)
長かった。
思えば、幸田文を知ったのがほぼ1年前。
それから新刊書店、古書店などを回って、この本を入手したのが10月初め頃だったろうか。

幸田文については色々と語りたいことがあるのだけど、それはまた別の機会に。
(既読本についても、そのうち書くかも)


『動物のぞき』
新潮文庫
幸田文著

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2014.11.16

『手塚治虫の美女画展』 (GALLERY KAI) を観る

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吉祥寺駅から丸井の脇を通って5分も歩かないうちに井の頭公園に入る階段が見える。
その階段の手前左に、少し古風な建物が見える。
それが、今回の展示を行った GALLERY KAI

手塚治虫の美女画展、というタイトルであるが、エロ美女画である。

美女画全般であれば、先日購入した、『手塚治虫美女画集 Romanesque』なのだが、今回の展示はその中でもヌードをメインとしたもの。

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落ち着いた門をくぐって、入場料300円也を払うと、

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しおり(この日は『奇子』の奇子)とebook図書券540円がもらえた。(左は本展のフライヤー(葉書大))

さて、中庭を進むとすぐに土蔵があって、展示はその中。

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扉の外側からは撮影可なので一枚。

二人の美女が、こちらを見つめる。
おぉ!

土蔵の中は全部で17枚くらいの原画(複製も含む)がかかっており、少し薄暗い雰囲気とマッチしている。
2階に上がると、そこは奇子がメイン。
奇子の物語はココでは書かないが、暗く、木板で囲まれた中に浮かび上がる奇子の身体は、物語世界をそのまま現実に持ってきたような感じであった。

画集で見るのと、ここまでやって来て、主催者の意図通りの展示方法で観るのでは、これほどまでに違うのかという、当たり前のことを再認識した次第。


なお、今回行われたGALLERY KAIの名前には、GALLERYとKAIの間に変な文字のようなものがある。
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これは、吉祥寺の「吉」の甲骨文字なのだが、ひょっとして?と思い、受付のお姉さんに、

「このギャラリーのオーナーは白川静のファンなんでしょうか?」

と尋ねてみた。
お姉さんは分からないとおっしゃっていたので、じゃぁいいです、といって絵を見て回っていた。
でも、2階から降りて来た頃に先ほどのお姉さんが「先ほどの件、オーナーさんに確認しましたら・・・」といって、引き合わせてくれた。
どうもありがとうございました。

あっし 「これは、吉の字ですよね?」
オーナー「そうなんです」
あっし 「ひょっとして、白川静さんのファンなんでしょうか?」
オーナー「そうです。私は書や篆刻をやっているので、白川静さんの文字解釈を勉強しているんです。今までそこに気がついてくださった方はほとんどいませんでしたよ(笑)」

(後でGALLARY KAIのHPを見たら、説明が書いてあった)

なんて感じでお話させていただくことができました。
気さくなお人柄なようで、他にもKAIの本当の名前の由来なんかも教えていただきました。
本当にありがとうございました。

『手塚治虫の美女画展』
GALLERY KAI
2014/11/03-2014/11/09

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