2014.11.28

『幸田文展 会ってみたかった』 (世田谷文学館) を観る

何故、あっしが「幸田文、幸田文」と書き込んでいるかといえば、きっかけはこの展覧会を観に行ったことによる。

去年の今頃、たまたま招待券が当たって、場所も世田谷文学館なので行ったこともあるし、ということで、足を運んだのだ。

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しかし、幸田文の名前は、というか、漢字の並びは知っていたものの、「あや」と読むのか「ふみ」と読むのかはっきりしないという有様。『うる星やつら』のラムちゃんの声優さんは「平野文」で、こちらもどう読むのか判然としなかったけど、逆であることは何となく分かっていた。
なので、幸田文が「あや」ならば、平野文が「ふみ」であることが、あっしの脳味噌の中で確定したのである(笑)

幸田文その人については、幸田露伴の娘だか孫だかで、『小石川の家』という本と関係あることくらいしか知らず、実質的にはほとんど何も知らないに等しい状態だった。
(なお、幸田文は幸田露伴の娘。『小石川の家』は幸田文の娘である青木玉の作品であり、小石川の家とはこの三人が暮らした家(蝸牛庵)のこと)


幸田文の人生は、誕生から結婚生活まで、離婚から露伴の死まで、文筆生活の開始から亡くなるまで、と大雑把に分けることができる。

明治37年(1904年)に生まれ、平成2年(1990年)に亡くなる。
幸田文には姉の歌、弟の成豊がいたが、母が亡くなり歌は夭逝、露伴が再婚後に成豊も結核で亡くなっている。つまり、露伴には文しか残されなかったわけである。

継母との仲も芳しくなく、継母の病気もあり、尋常小学校を卒業し女子学院入学後に家事一般を露伴から学び家庭を支えていくのである。そうはいえ、露伴の家事教育は理論的かつ厳しく、その様は何度も何度も文の作品に登場する。

24歳の時に酒問屋の三男と結婚し一女(のちの青木玉)をもうけるが、家運が傾き廃業。自ら小売り酒屋を営むもうまくいかず、10年後に離婚し露伴家に戻る。

露伴没後、その思い出を綴ることで評価を受けることになるものの限界を感じ、一時断筆宣言をして、芸者置屋で女中として働くなど、自らの生き方に迷った時期もあったのだが、その後は再び作品を発表するようになり、女中の経験を生かした『流れる』で新潮文学賞、日本芸術院賞を受賞するなど、人気を博した。
また、奈良法輪寺三重塔の再建に奔走したことでも知られる。


とまぁ、簡単に書けばこんな所なのだろうけど、実際の展示物から受ける迫力というか、生き方の力強さというか、思わず後ずさりしそうな感じを受けたのだ。
あっという間に惹き込まれ、いわば一目惚れ(笑)

また、一生を着物で通した人であり、展示されていた着物もガラスケースの前でうなるほどの存在感だった。(別の場所でも自らデザインした着物も飾られていて、そちらも見事だった)

自分の興味のあることには、足を運び、話を聞き、笑い、泣き、とエネルギッシュな面も見逃せない。捕鯨船に乗り李承晩ライン近くまで行ったり、背負われてでも山を登り崩れゆく地形を見に行ったり。自然に接する目は温かく、そして本質を見逃さない。

あぁ、ノックアウト!

本当に、会ってみたかった!

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これはミュージアムショップで購入したもの。
左側の餅と和紙は別として、「KODA AYA」と書かれたものは図録で、小さいカードは「おふくわけ」と書いてあり、裏に幸田文の作品からとられた文が書かれている。

図録はあまり見ないデザインであるが、何なのかというと、
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二重構造になっており、つまり、マッチ箱を模しているのだ。
これは展示物にもあったのだけど、昔の配り物の小さなマッチ箱に文自身がいろいろな千代紙を貼ってコレクションしていたものに由来する。だから、カエデをデザインした外箱から中の図録本体をスライドして取り出す、というわけ。すると、マッチが描かれている図録が出てくるという寸法。(ちなみに茶色い部分はマッチを擦るやすり部分ね。もはや知らない人がいるかもしれないので書いておくけど(笑))


何故わざわざこれを紹介するかというと、村松友視の著書の中に『幸田文のマッチ箱』というタイトルのものがあるのだ。
(文庫は現在でも入手可能で初めに買ったんだけど、古書店で単行本も買った馬鹿はあっし)
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編集者(というよりは話し相手として)幸田文邸に訪れた村松氏は、このマッチ箱を気に入り、訪れるたびにもらってきたという。また、幸田文自身も、村松氏の期待に応える形でせっせと貼っていたらしい。
(なお、この本の表紙のデザインは竹久夢二のデザインです)


もう、何もかもが新鮮かつ強烈な引力であっしの頭をかっさらっていく感じで、展示を観終わるとふらふらだった。
だがしかし、だった。

その後の成り行きは、ここでも書いたように著作を読みあさるということになったわけ。


あぁ、まだまだ言い足りない。
けど、とりあえず一旦筆を置きます。


『幸田文展 会ってみたかった』
世田谷文学館
2013/10/05~2013/12/08

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2014.09.04

あまり知られていない中原淳一の仕事 『婦人文庫』

中原淳一といえば、

・少女の友
・それいゆ
・ひまわり
・ジュニアそれいゆ

といった雑誌の仕事や、ファッションそのもの、ファンシーグッズなどの先駆けなどで知られている。

『少女の友』は大東亜戦争に突入する前年に軍部からの圧力で雑誌から降板している。
したがって、戦後は『それいゆ』から始まったということになる。

『それいゆ』は、中原淳一が全面的に手をかけて出版した最初の雑誌であるから、確かにその通りであろう。
ちなみに、『それいゆ』(創刊号では『ソレイユ』)が発売されたのは終戦からちょうど1年後の1946年8月15日である。

ところが・・・。

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この写真の雑誌は、『婦人文庫』というもので、1946年5月創刊である。
鎌倉文庫という出版社の発行であるが、川端康成が大いに関係しているらしい。
また、川端康成は、小説『乙女の港』の挿絵を中原淳一が手がけていたりしたことから声をかけたのであろう。

なお、手元には、1946年6月号(5月20日発行)の創刊第2号からがある。(写真左上)
つまり、創刊号はおそらくひと月は前であろうから、1946年4月には発行されているはずだ。

創刊第3号(1946年7月号)から、中原淳一の表紙絵に変わっている。右下のものは1949年の4月号(3月発行)なので、少なくとも3年以上は表紙絵を担当していることになる。
画風は初期の『それいゆ』のように、輪郭線をほとんど強調しない柔らかな感じを醸している。

さらに、驚くのは、

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創刊第2号では表紙絵は担当していないものの、『それいゆ』の連載でも有名な「それいゆぱたーん」を彷彿とさせるファッションページを描いているのである。
タイトルは、「モンペやゆかたで出来たドレス」。
中原淳一得意の、生地の使い回しやちょっとした工夫で新しいモノを作り出す、というやつ。

中原淳一自身は、1945年8月に復員してから、自らが理想とする女性のための雑誌『それいゆ』を出そうとして奔走していた時期であろう。
ただし、タイミングとしては、雑誌に登場するのは『婦人文庫』の方が早く、上で述べたように「それいゆぱたーん」の構想を実験的にこの雑誌で行っていた可能性がある。

実際、写真下の2冊(1949年2月号、4月号)では、表紙絵しか担当しておらず、「それいゆぱたーん」的ページは他の人が担当していた。
これは、既に『それいゆ』が軌道に乗ったことに他ならない証拠ではないか。

しかし、昨年から今年にかけて開催された
『生誕100周年記念 中原淳一展』 (こちらこちら
では、一つも話題になっていなかった。

まぁ、『少女の友』や『それいゆ』・『ひまわり』などに比べれば、仕事としては小さいのかもしれない。(ちなみに、10年前の『没後20年 中原淳一展』の図録も古書店で入手してあるけど、関係する記載がほんの少しの文章で説明があった)

いずれにしても、終戦直後の短い間に自分の雑誌のために試行錯誤をしていたことは、これらをみれば明らかだろう。

なお、茨城県現代美術館で行われた「ひまわりや」代表の中原利加子さんの講演のときに、この雑誌について聞いてみたら、「珍しいですね。原画は失われているので貴重です」といったことを言っていただいた。
そしたら、あっしの周りにいた人が集まってきて「ちょっと見せてください」というので、どうぞどうぞ。
中には「あなたは研究者か何かですか?」なんて聞いてくる人もいた。
ただの、変なおっさんです。ハイ(笑)

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2014.01.13

『生誕100周年・没後30周年記念 中原淳一の生きた戦中・戦後 ~少女像にこめた夢と憧れ~』 (昭和館) を観る

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去年(2013年)、中原淳一は生誕100年、没後30年にあたり、既に大きな巡回展が開催されていた。

昭和館のこの企画展も、あっしが情報を見つけた当初は巡回展の一部かと思っていたのだが、全く方向性の違うものであった。

さすが昭和館(笑)

中原淳一の生い立ちについては、一通りの説明はされている。しかし観るべき所は、昭和館ならではの視点による中原淳一である。

それは戦争の前後。

たとえば、表紙絵を描いていた『少女の友』から降板を余儀なくされたり、服飾の統制や配給制への切り替え、さらには、自分自身の出征もあった。

こういう流れの中で、おそらく中原淳一の考え方は変わっておらず、女性がより良く生きるには、という点はぶれていない。

『少女の友』の降板に関しても、雑誌の中からは消えたかもしれないけれど、慰問用の絵葉書にはしっかりと淳一スタイルのイラストが生きている。
防空服の型紙についてくるイラストだって、そうだ。

軍部がなんと言おうと、求めている人びとには応えるべきと、考えていたのだろう。それは自らの求めるところの裏返し。
実際に、中原淳一の慰問用品は戦地の人びとにとっては歓迎されていたそうだ。

さて、繰り返しになるが、昭和館の面白いところは、やはり戦争とは切り離せない展示なるところ。

さきの絵葉書は実際に慰問に使われ、インクの跡も生々しいものが展示されていたし、防空服や型紙から起こされた洋服も復元されて飾られていた。
単なる女性向けの雑誌やファッションのことだけが中原淳一なのではなく、時代に翻弄されていたのもまた明らかなのである。

明日がどうなるかも分からない。
だからこそ、何か頼るものとして、支えとして、忘れて欲しくないものとして、中原淳一が発信し続けたこと自体が、奇跡的なことなのではなかろうか。

戦後、それいゆ、ジュニアそれいゆ、などで活躍したものの、晩年には病に苦しめられ、想いを貫徹できなかったことは残念だったろう。

結局、神保町に立ち寄る際、何度も足を運んでしまいました。
だって、ロハなので(笑)

『生誕100周年・没後30周年記念 中原淳一の生きた戦中・戦後 ~少女像にこめた夢と憧れ~』
昭和館
2013/03/16~2013/05/12

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2013.02.19

『生誕100周年記念 中原淳一展』 (日本橋三越) を観る (記事化予告編(笑))

2013021902

ということで、先日行ってきました。

もう涙モノですね。

詳細は追って…。

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2012.12.09

『田村セツコ展~HAPPYをつむぐイラストレーター~』(弥生美術館)を観る

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行っておいてナンですが、田村セツコという名前を全然存じ上げず…。

ただ、そのイラストは記憶にありました。
それはこちらに

その展示では、数ある「かわいい」系のイラストレーターの一人としていくつかの作品を採りあげられていました。でもその時は名前までは記憶に残らなかったのです。

さて。

今回、弥生美術館に来たとき(注:10月の中旬のことです)、たまたま開館時間よりも前に到着してしまいました。実際は、あっしが開館時間を勘違いして、既に開いているものと思っていたんですが(汗)

チケットを買ったとき、「1階フロアは準備できていますので」ということで開館時間前に無事入ることができました。もちろん、一番乗りでした(笑) ご配慮ありがとうございました。(ただ、2、3階はまだ準備ができていないので…時間になるまでお待ち下さい、とのことでした)

1階フロアは、言わばイラスト修業時代の作品から初期の雑誌掲載作品など。(ちょっと記憶が曖昧)

見始めてしばらくすると、ちょっと高い声のおばちゃんがフロアに入ってきた。
最初、他の年配の夫婦らしき人と話していて、ライティングがどうの、なんて単語が出てきていたので、何かの関係者なんだろうなぁ、なんて思ったのでであるが。

気になって、どんなおばちゃんだ?と振り向いてみると、白いフリルのついたシャツに黒いスカートを着た小柄の人物。(実は、パンフレット左下に載っている写真と同じ姿!)
なんと、田村セツコ本人だった。(以下セツコさんと書きます)

あっしはそのことに気がついた瞬間、何が起きたんだか分かりませんでしたよ。
実は、今回の展示期間中に何度か本人のギャラリートークやサイン会が行われることになっているんですが、この日は別の日。予定外。

すぐにセツコさんはあっしに声をかけてくれまして、あっしはどぎまぎしながら「今日は一番乗りしてしまいました」なんて、変な受け答え(笑) 「ゆっくりとご覧になって下さい」とかなんとか言われたような…。
セツコさんは、あっしよりも背が低くて、服装も相まって、とてもかわいらしい感じ。

なんだかフワフワした心持ちのまま、1階フロアを見終わり、2階へ上がると…。

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階段を登り切ったところの壁には、直筆イラストが。

通常は館内は撮影禁止なんですが、ここだけは今回撮影OK。
セツコさんもいらして、美術館の人にツーショットをお願いし、快く引き受けていただけました。
ありがとうございました。

2階もまた、フワフワしながら見学し、なんだか記憶が曖昧です。
ただ、コラージュ作品が沢山展示されていて、その制作意欲の強さがひしひしと感じられます。


その後、3階の高畠華宵の部屋、2階に戻ってから竹久夢二美術館に入って、ふたたび美術館入り口へ。

すると、入口にある小さなミュージアムショップのベンチで、セツコさんが年配の女性と話をしていた。
またお会いして、ちょっと挨拶をして、あっしはショップで本(今回の展示をまとめたもの)を購入してからベンチのセツコさんに「申し訳ありませんが、サインをお願いします!」

セツコさんはわざわざあっしを隣りに座るよう促し、話をしながらサインをしてくれました。

2012120903

今日弥生美術館に来たのは、外国からのお客様をご案内するために待ち合わせをするため。
(その方のお手紙も見せてくれました)
今回の展示の打合せの際に観た怪獣の(←大伴昌司展のこと)はとても面白かった。

などなど。


いやぁ、なんだか今年一年の一番良いところがこの日だったみたいな感じになっちゃった。

本を読んでみると、やっぱり人柄とイラストはリンクするんだな、なんて。
今もまだエネルギッシュに創作活動をしているし、個展なども頻繁に開催しているようで、見習わなけりゃなぁ。


ありゃ、なんだか作品自体への言及が少ないですね。
詳しくない人でも、この本に目を通すと今よりも少しは心が豊かになったような気がしますよ。
オススメです。

『田村セツコ展~HAPPYをつむぐイラストレーター~』
弥生美術館
~2012/12/24

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2012.09.02

『生誕100周年記念 中原淳一展』 は2013年2月に!

今日、宝島社ブランドムック『中原淳一』というのを買ってみた。

内容はともかくとして、生誕100年、没後30年となる来年。絶対に2013年中に大々的に開催されるはずと確信していた『中原淳一展』についての情報を見つけた。

それによると、

2013/2/6~13 日本橋三越

以降、そごう美術館、阪急うめだ本店、刈谷市美術館、等を巡回する予定。

とのこと。

なお、現時点ではオフィシャルサイトである「中原淳一ホームページ」には情報は無し。

原画が主な展示物になるようであるが、あっしとしては人形を見てみたいなぁ。
まだまだ時間がありますから、なるべく充実した展示になるようお願いしたいです。


→→→ こちらに追加情報があります


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2012.07.07

中原淳一の本 またまた

2012070702

先月のこと。
よく行く水戸の本屋の美術関係コーナーをうろうろしていたら、ありました。
いずれの本も、神保町では見当たらないモノだったので、びっくりしつつ購入。

おしゃれの絵本 2800円+税
しあわせの花束 1524円+税
ひまわりみだしなみ手帖 1524円+税
二人のしあわせ 1600円+税

いずれも平凡社の新刊書。(発行年は古いが)
左側の大判の本は、ピーコさんがまとめたファッションスタイル画中心のモノ。
右側の3冊はコロナ・ブックスというシリーズの中にあるモノで、『中原淳一エッセイ画集』とタイトルがついている。
過去に編集していた雑誌の記事や挿絵をジャンルごとにまとめて再構成した感じになっている。

エッセイ画集をざっと読んでみて驚くのが、文章の多さ。
絵だけでなく、言葉でなければ伝えられないことが沢山あったからなのだろう。
少女向けから大人の女性向けの数々の雑誌においてもそういうスタンスで、なおかつ、読者はそれらを求めていたのだから、それらの言葉を吸収しようとする意気は現代よりも高かったと思われる。

中原淳一の本は、今でも流通している本が多く、比較的入手しやすくて、そういう意味では高畠華宵の絵よりも普遍性が高いのであろうか。あるいは、華宵の絵があまりにもその時代の雰囲気との親和性が高かったが故、時が経ると変化していく雰囲気と相容れなくなってしまったのだろうか。

おそらく、中原淳一が伝えたかったことが、絵と文章のセットで表現されていたからだと思う。
言い換えれば、メッセージを伴うことが明らかである絵であったことが。
逆に、華宵の絵にはメッセージを読み取りがたいところが多い。(「さらば故郷」などは別ですが)

加えて、あっしが最初に感じたように、二人の描く目に、視線に、そういったことが表れているのもあるんじゃないだろうか。

華宵の晩年に、見舞いに来た中原淳一に対して「目の表現」について語った、ということがあったとのこと。(「中原淳一の世界」図録、鹿野琢見文より)
方向性は違うのだろうが、この文章を読んだとき、あっしの最初の感想もあながち間違っちゃいないなぁ、と思った次第。


なお、今日本屋で美術コーナーに行ってみたら、もう在庫補充されていた(笑)
しかも、違う画集やひまわりの本が増えていた。
あっはっは。

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2012.05.06

『KATAGAMI STYLE 世界が恋した日本のデザイン』展 (三菱一号美術館) を観る

『地上最大の手塚治虫』展を観た後、東京駅まで戻って有楽町方面へ。
電気屋に行こうと思っていたのだが、途中でポスターを見かけて急遽立ち寄ってみた。

2012050206

KATAGAMI とは何か。

型紙なんだろうなぁ。

といった予備知識(?)しかなかったが、なんとなく面白そうだという勘で(笑)

会場に入ると…、いきなり「型紙」ですよ。
へぇ~、こんななんだ。
型紙って、ホントに紙なんだ。

なんて、ね。

江戸小紋などの、細かい文様はこういった型紙を使ってできるのですね。
それも、細かい細かい。
型紙はだいたい横50~60cm、縦20cmくらい。
それを生地に当てて染料などを塗りながら写していくことを繰り返して使うのです。

幾何学模様、植物、魚、波など、生活の中で見かけるありとあらゆるモノが型紙のネタとなっています。

展示の途中で、実際に型紙をつくる場面をビデオで流していました。
まず基本となるカタチを1区画だけつくって、それ元に大きな区画をつくっていく。
気の遠くなるような作業です。
ですが、こういうのは日本の得意とするところなんでしょうね。

そして、この魅力が西洋にも伝わっていく。
そうだろう、そうだろう。
これだけの技術、このデザイン、この魅力。

また、西洋では独自のアレンジを施して、KATAGAMIの世界を広げていく。

なるほどなぁ。

こりゃ、やっぱり勘は当たったぞ。
ってなもんで。

技の力、美的感覚。
面白くないはずがないのである。

『KATAGAMI STYLE 世界が恋した日本のデザイン』
三菱一号美術館
~5/27

(なお7月以降、京都、三重に巡回)

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2012.05.01

『日本のKawaii展』 (弥生美術館)を観る

前回、弥生美術館に来たのは『植木金矢展』を観るためだったが、その時の次回展パンフレットを見て面白そうだという直感から、またまたやってきました。

今回はこのエントリの通り、TX東京メトロフリーきっぷを使って、入館料が100円引き。
なお、別の方法としては、弥生美術館HPの割引クーポンをプリントして持っていっても100円引きになります。

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さて、到着したのが10時半頃。
展示室に入ってみると、既に女性のグループがいくつか熱心に展示ケースをのぞきながら「これこれ」「かわいいねぇ」などと話していた。

その状態を確認して気がついたが、こういう展示なんだから、お客さんはほぼ女性だよなぁ(汗)
なんだかいたたまれない(笑)

2012042803

それでも彼女たちの邪魔をしないように、少し離れた位置から時間をずらしながら展示室をくまなく見て回る。

展示の内容は、大正から昭和にかけてのファンシーグッズをメインとしたもの。
もっとも、大正時代のものは便箋や封筒、半襟など。
正直、「カワイイ」と感じるかどうかは微妙で、「今までになかったモノ」という印象がうけたのだと思う。
実際、竹久夢二や高畠華宵の絵による便箋だったり封筒など、今で考えると方向がちょっと違っている。

ただ、あっしにとっては現代に近づく「カワイイ」路線に比べれば、かえって親しみやすく感じてしまう。
ここらへんは性別によっても感じるところが違っているからなのだろう。

時代が下るにつれ、それらのグッズはより身近な物品に変化していき、ハンカチや文房具、バッグやシールなど、あっしでも記憶に有る世界になってくる。
例えば、内藤ルネのパンダのイラスト、水森亜土の3等身など。
記憶に有るけど、別に興味はなかった。
しかし、これらのグッズを見ると、知らないうちに脳味噌のヒダにインプットされていたことが分かる。
つまり、教室の中で、通学の途上で、などで見かける機会が多かったということだ。

むぅ。
恐ろしや、「カワイイ」

多分、男の大部分は似たような感想じゃないだろうか。
興味なかったけどなんとなく知っている、みたいな。

それはそれとして。

今回の大収穫は、「中原淳一」。
またまたやられてしまいました(笑)

『大正から始まった 日本のKawaii展 ファンシーグッズを中心に』
弥生美術館
~7/1

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2007.06.17

本日の収穫’07 第12回

Tシャツ

1.「chick corea ・ return to forever」 UNIQLO
2.「ELECTRIC RESPONSE」 UNIQLO


2007061703
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なにかのHPを見ていてら、ユニクロの企業コラボTシャツに、チック・コリアのTシャツがある、という情報にぶつかった。ユニクロのHPで探してみると、確かにありました。

ホームセンターに日用品を買いに行ったついでに売り場に寄ってみると、並んでいましたよ。
「鉄塔」のTシャツが(笑)
こりゃ、驚いた。
まるであっしのためにあるようなTシャツじゃないですか。

というわけで、RTFと鉄塔で2枚購入。
チック・コリアのTシャツは他にもあったけど、サイズが無かったのでこれのみ。

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