2015.10.05

『ローマの休日』のパンフレット

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先月、古書市で入手した『ローマの休日』の映画パンフレット。
300円也。
昭和29年公開時のパンフではあるが、これはそれの復刻版で、もとにしたパンフの折り跡やすり切れ、ステープルの錆びあとまでそのまま再現されている。(だから安いのだ。初版だったらきっと手が出ないだろう)
あっしの永遠のアイドル、オードリー・ヘプバーン。
その昔、今はなき銀座文化劇場でオードリー・ヘプバーンの映画特集に通い詰めていたころを思い出す。

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2014.12.05

『幸田文全集』(岩波書店版) ですよ

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ということで、大分前のことになりますが、幸田文の文庫版の本が全て集まる前に、岩波書店から出されていた『幸田文全集』を古書店で入手しました。

バカですね。

この全集は、1994年から1997年にかけて全23冊が刊行されたものと、2003年に別巻を追加して再刊行されたものがありますが、23冊組みのもの(箱の背が見えているもの)は初版本で、オレンジ色の帯が付いている箱のものは2003年の別巻です。

ちなみに、古書店価格だと、23冊組みの値段よりも、別巻1冊のほうがはるかに高い(笑)
別巻は出物が見当たらず、いろいろと探してようやく入手しました。
全ての本にはスリップが付いたままになっていて、元の所有者はおそらくほとんど本を開いていなかったのではないかと思う。箱の色あせがあるのは、もう20年前の本ですからしょうがないけど。

個人全集を買うなんてことは、昔、筒井康隆全集刊行開始時にどうしようか迷った経験があるけど、その時は金が無かったからなぁ。
今も、金があるかといわれると微妙だけど、パンチのある展覧会が背中を押し続けてくれたんだと思う。

なお、この全集を買う前に、中央公論社から1958年~1959年にだされた7冊組みの『幸田文全集』も買ってあったりします(爆)
これについては、また別にご紹介しましょう。

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2014.11.28

『幸田文展 会ってみたかった』 (世田谷文学館) を観る

何故、あっしが「幸田文、幸田文」と書き込んでいるかといえば、きっかけはこの展覧会を観に行ったことによる。

去年の今頃、たまたま招待券が当たって、場所も世田谷文学館なので行ったこともあるし、ということで、足を運んだのだ。

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しかし、幸田文の名前は、というか、漢字の並びは知っていたものの、「あや」と読むのか「ふみ」と読むのかはっきりしないという有様。『うる星やつら』のラムちゃんの声優さんは「平野文」で、こちらもどう読むのか判然としなかったけど、逆であることは何となく分かっていた。
なので、幸田文が「あや」ならば、平野文が「ふみ」であることが、あっしの脳味噌の中で確定したのである(笑)

幸田文その人については、幸田露伴の娘だか孫だかで、『小石川の家』という本と関係あることくらいしか知らず、実質的にはほとんど何も知らないに等しい状態だった。
(なお、幸田文は幸田露伴の娘。『小石川の家』は幸田文の娘である青木玉の作品であり、小石川の家とはこの三人が暮らした家(蝸牛庵)のこと)


幸田文の人生は、誕生から結婚生活まで、離婚から露伴の死まで、文筆生活の開始から亡くなるまで、と大雑把に分けることができる。

明治37年(1904年)に生まれ、平成2年(1990年)に亡くなる。
幸田文には姉の歌、弟の成豊がいたが、母が亡くなり歌は夭逝、露伴が再婚後に成豊も結核で亡くなっている。つまり、露伴には文しか残されなかったわけである。

継母との仲も芳しくなく、継母の病気もあり、尋常小学校を卒業し女子学院入学後に家事一般を露伴から学び家庭を支えていくのである。そうはいえ、露伴の家事教育は理論的かつ厳しく、その様は何度も何度も文の作品に登場する。

24歳の時に酒問屋の三男と結婚し一女(のちの青木玉)をもうけるが、家運が傾き廃業。自ら小売り酒屋を営むもうまくいかず、10年後に離婚し露伴家に戻る。

露伴没後、その思い出を綴ることで評価を受けることになるものの限界を感じ、一時断筆宣言をして、芸者置屋で女中として働くなど、自らの生き方に迷った時期もあったのだが、その後は再び作品を発表するようになり、女中の経験を生かした『流れる』で新潮文学賞、日本芸術院賞を受賞するなど、人気を博した。
また、奈良法輪寺三重塔の再建に奔走したことでも知られる。


とまぁ、簡単に書けばこんな所なのだろうけど、実際の展示物から受ける迫力というか、生き方の力強さというか、思わず後ずさりしそうな感じを受けたのだ。
あっという間に惹き込まれ、いわば一目惚れ(笑)

また、一生を着物で通した人であり、展示されていた着物もガラスケースの前でうなるほどの存在感だった。(別の場所でも自らデザインした着物も飾られていて、そちらも見事だった)

自分の興味のあることには、足を運び、話を聞き、笑い、泣き、とエネルギッシュな面も見逃せない。捕鯨船に乗り李承晩ライン近くまで行ったり、背負われてでも山を登り崩れゆく地形を見に行ったり。自然に接する目は温かく、そして本質を見逃さない。

あぁ、ノックアウト!

本当に、会ってみたかった!

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これはミュージアムショップで購入したもの。
左側の餅と和紙は別として、「KODA AYA」と書かれたものは図録で、小さいカードは「おふくわけ」と書いてあり、裏に幸田文の作品からとられた文が書かれている。

図録はあまり見ないデザインであるが、何なのかというと、
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二重構造になっており、つまり、マッチ箱を模しているのだ。
これは展示物にもあったのだけど、昔の配り物の小さなマッチ箱に文自身がいろいろな千代紙を貼ってコレクションしていたものに由来する。だから、カエデをデザインした外箱から中の図録本体をスライドして取り出す、というわけ。すると、マッチが描かれている図録が出てくるという寸法。(ちなみに茶色い部分はマッチを擦るやすり部分ね。もはや知らない人がいるかもしれないので書いておくけど(笑))


何故わざわざこれを紹介するかというと、村松友視の著書の中に『幸田文のマッチ箱』というタイトルのものがあるのだ。
(文庫は現在でも入手可能で初めに買ったんだけど、古書店で単行本も買った馬鹿はあっし)
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編集者(というよりは話し相手として)幸田文邸に訪れた村松氏は、このマッチ箱を気に入り、訪れるたびにもらってきたという。また、幸田文自身も、村松氏の期待に応える形でせっせと貼っていたらしい。
(なお、この本の表紙のデザインは竹久夢二のデザインです)


もう、何もかもが新鮮かつ強烈な引力であっしの頭をかっさらっていく感じで、展示を観終わるとふらふらだった。
だがしかし、だった。

その後の成り行きは、ここでも書いたように著作を読みあさるということになったわけ。


あぁ、まだまだ言い足りない。
けど、とりあえず一旦筆を置きます。


『幸田文展 会ってみたかった』
世田谷文学館
2013/10/05~2013/12/08

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2014.11.11

先週のはなし

先週東京に出かけたところ。

1) 『手塚治虫の美女画展』 (吉祥寺 GALLERY KAI)

2) 『特別展 輝ける金と銀 -琳派から加山又造まで-』 (恵比寿 山種美術館)

3) 『こどもの発達と成長』 (弥生 東京大学医学部・医学部附属病院 健康と医学の博物館)

4) 『鋼の超絶技巧画報 髙荷義之展 / 生誕130年記念 再発見!竹久夢二の世界 【後期】ボヘミアン・夢二』 (弥生美術館 / 竹久夢二美術館)

記事化予定は未定です(汗)

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2014.09.25

『あっ、と驚く・・・』 街中の劇物 2014-03

為五郎~~、かどうかは知らないが。

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幟(のぼり)看板を差し込む土台です。

何モノににも、「ウラの顔」 というものがあるワケで・・・。

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2014.09.24

『恋の華・白蓮事件』 (永畑道子著) を読む

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引き続き、柳原白蓮関連の本を読んだ。

『白蓮れんれん』(林真理子)よりも12年早く書かれたもの。したがって、使用した資料、取材過程などが異なっている。まだ存命であった関係者の証言なども生かされていると思われる。また、より評伝に近い形態で書かれており、随時、証言や文献が引用されている。柳原燁子(白蓮)の生誕の事情から掘り起こされているので、その点からいえば人生の全体像を把握するのであれば、この本を読むべきか。

ただし、読み手としては、必ずしも時系列の記述になっていないので、うっかりすると話が分からなくなってしまうのが、むむと思ったところもある。

全体の印象は、『白蓮れんれん』よりも、より奔放な性格として白蓮を捉えている。伊藤伝右衛門との再婚を機にさらに歌にのめり込んでいく白蓮が、自分で自分を追い込んでいく女性として書かれている。それは、愛のない生活から愛を求める生活への変貌を遂げていくことと同義であり、宮崎竜介以前にも複数の男との手紙のやりとりで駆け引きがあったことなども露わにされている。

白蓮と竜介の出会いは、本書の中では全体の全体の終わりまで残り1/4あたりからとなる。
竜介自身の証言として、白蓮と初対面したときには特別な感情は無かった、とも書かれていることから、白蓮からのアタックが強烈だったことも推察される。

最初は仕事上の関係であったものではあるが、白蓮にとっては自分の生み出した作品を理解する数少ない男である竜介を希望の星として捉えるのも無理はない、とも思う。九州筑紫では女王と呼ばれていても、愛のない生活からの脱出欲は最早爆発寸前だったのだろう。

したがって、白蓮事件とはいっても、本書ではそこに至る白蓮の心の変化を通して臨場感を高める意味もあったのではないだろうか。

同じ事件であっても、どこからの視点で記述するか。俯瞰する場面、掘り起こす場面の選択によって、できあがる本の印象が大きく変化するところが面白い。
どちらか一方を読んだ人は、もう一方の本を合わせて読んでみるのも一興であると思いますよ(笑)


『恋の華・白蓮事件』
永畑道子著
文春文庫

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2014.09.21

『白蓮れんれん』 (林真理子著) を読む

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こちらでも書きましたが、朝ドラは視ていません。
どこかのHPに、「ヒロインは花子なのに、燁子にも人気があって、Wヒロイン状態だ。これって『アナと雪の女王』と同じパターンだね。」 なんて書かれていたのをみて、この本も読んでみました。

そしたら。

面白いじゃねーか。

小説だから、という注釈がつくからかもしれないけど、柳原白蓮(柳原燁子)の生涯は波瀾万丈。
大正十年に起こした所謂 「白蓮事件」 が皇室や貴族院などを巻き込むスキャンダルに発展してしまったのも、当時の社会情勢というか、華族制度、家族制度、法律からいえば当然のこと。
それをすべて認識しての行動ではなかったようであるが、相当程度は予想してのことのはず。それでも実行してしまった力の根源は、伊藤燁子(当時)と宮崎竜介の結びつきの強さに他ならない。

現代であれば、スポーツ紙や週刊誌、あるいはTVの情報番組の芸能コーナーで見ない日は無いであろう(あっしは読んでないけど)成り行きだから、特別な興味を持って追うことは少ないと思う。
けれども、大正時代は制度の時代。普通に、格や資産の異なる家の間での結婚さえ問題視される。もちろん浮気は姦通罪。北原白秋は告訴され、有島武郎は自殺する、といった事件の元になる法律である。

元々、伊藤伝右衛門との再婚でさえ華族と九州の石炭富豪という不思議なものである。実際は複雑な家族構成を持っていた伝右衛門に燁子はだまされた思いであると同時に、不信という言葉が芽生えたであろう。事件の根幹は既にあったといっても良く、なまじ有名であることがその身を縛ることになってしまったのも加わる。

とはいえ、伝右衛門も燁子の意に沿うように家を改築したり、別荘を建てたり、名士のサロンには自由に行かせたりと気は遣っていたようであるから、全くの悪者ということでもない。

結局、無かったモノは、信頼と育む愛、という結婚生活に必要な二つの柱だったのだろう。(あっしには分からんけど(笑))

そこに現れた宮崎竜介という人物が、柱を失っている燁子が命をかけたともいえる歌や戯曲の側から心を掴むという離れ業をやってのけたともいえる。(言い方はあんまり良くないかもしれないけど)
さらに、数は少ないにしろ、良い仲間に恵まれたこともあるだろう。

絶縁状を突きつけられた伝右衛門は、小説の中ではこうなることを悟っていたが示唆されている。本当かどうかは分からない。しかし、姦通罪で訴えることもせず、事件を収束させる方向で動いたことを考え合わせると、それはそれで自分の立場も考えたのであろう。

だけど、伝右衛門も結婚直後から予感していたのかもしれない。自身も、信頼と育む愛、という柱を失っていることに気がついていたはずだからだ。それに気がつかないほどの凡人ならば、炭鉱王になる頭脳も持ち合わせていないはずだから・・・、と思うが、世の中そうそううまくはいかないのですね。
ただ、引き際についてだけは、わきまえていた、と。

なんだか、伝右衛門の方に感想が引っ張られちゃったなぁ(笑)

なお、この本は白蓮と竜介の間に交わされた書簡が何通も登場する。
読んでいるこちらが赤面するほどの内容であるが、文字とそれらが往復する時間が互いに互いの愛を深めていくことを知らしめる。
それに比べれば、現代はいかに軽薄なことかと、チクリとされるのだ。

それと、本書には、村岡花子という名が登場するのは、気がついただけでは1カ所しか無かったです。

『白蓮れんれん』
林真理子著
集英社文庫

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2014.09.10

村岡花子の『婦人文庫』寄稿

『アンのゆりかご 村岡花子の生涯』を読み終わったとき、何か引っかかったことがあったので、それが何か思い出そうとしていた。

それがこれだった。

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前々々回の記事で取り上げた『婦人文庫』という雑誌である。
その昭和24年(1949年)2月号の下に、

「夫婦生活の明暗の岐路  村岡花子」

という文字が見える。村岡花子の記事が載っていることを、特に示しているのである。

手持ちの他の号では、そういう書き方はされていないし、目次を確認しても花子の記事は見当たらない。
(ただし、持っていない号ではあるのかもしれないけど)

こういう、ひとつの情報(この場合は『アンのゆりかご』を読んだこと)から、思いもかけなかった繋がりを発見することができるとき、なんというか、アドレナリンがドバドバ出るようか感じがしますね。単なる情報の散らばりが連結する面白さ。

さて、記事の内容はというと、

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妻が夫の手帳の中に浮気の証拠を見つけてしまったとき、どういう対応をするとどうなるか、というものを2つのパターンで書いている。花子は、その時の妻の対応は一瞬で決まるものであり、それが大きくその後の人生を変えてしまうことがある、と結んでいる。

あっしにはよく分からないけど、今のTVドラマだって似たようなもんだろうなぁ、なんて思う。

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花子は明治26年(1893年)6月生まれであるから、このとき55歳。
この頃の雑誌は紙質が良くなく印刷も粗いので、写真の姿が年相応なのか分からんのですが、ふっくらどっしりという貫禄を感じさせますね。

花子の 『赤毛のアン』 が、まだこの世に出ていない頃の話である。

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2014.09.09

『アンのゆりかご 村岡花子の生涯』 (村岡恵理著) を読む

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なんというのかな。

環境や時代の変化が、自分の目指すところに壁を置いてしまうことになるのは止められない。
止められないからこそ、穴を開けたり、梯子をかけたり、遠回りをせざるを得なくなる。

花子の生涯には必ずどこかにその可能性が残されており、結果としてみれば、まっすぐに歩いてきたように勘違いしてしまう。

それだけ、ぐいぐいとこの本を読まされてしまうということが言いたいのだ。
それに、あちこちに(涙)ポイントがちりばめられている(あっしにとっては(笑))

本当はもっと書きたいことがあったのでしょう。燁子との関係だってあっさりと書かれているし、儆三との恋愛についてだってそう。婦人参政権の話や戦時中の生活、そんなことだって、もっと深く書けるはず。

と思うのだけど、やっぱり花子の志が何であったのかを考えれば、ある程度の枝葉を落とさなければならないし、逆に言えば、あっしのように考えるおっさんもいるのは承知で、『赤毛のアン』シリーズを読むべき世代を対象にしているのでしょう。(あっしはそれを読んでないのです(汗))

助け、助けられ、山を登っていくような花子の人生を思うとき、何の信仰もないあっしには理解できない部分もある。なぜ、その現実を信仰のうちに取り込むことができるのか。だからこそ志を全うすることができた、ということなのか。

それは本人にしか分からないのかもしれない。分かってもらわなくても構わないのかもしれない。

ひとつ不思議だったのは、戦前にミス・ショーから託された『アン・オブ・グリン・ゲイブルス』を戦時中に必死に翻訳していたのに、戦後になってから出し渋っているような雰囲気があったこと。花子は学生時代に『源氏物語』や『万葉集』などの古典を勉強していたのに、たかだか40年前に発表された原作の翻訳本出版をためらったのは何故なんだろう。下手をするとミス・ショーとの約束を反故にしてしまう恐れがあったのに。

ともかく、村岡花子は壁で見えない曲がり角をいくつも曲がって、自らの志を実現するという、いちばんよいもをつかんだのだ。

とりあえず、期限内には読み終わったので、あとは体調・時間等勘案して再度弥生美術館へ行けるかだなぁ。あっはっは。

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2014.08.29

『村岡花子と「赤毛のアン」の世界展 ~本を道しるべに、少女たちのために~』 (弥生美術館) を観る

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好きな美術館を選べば、トップ3には入る弥生美術館ではあるが、今までこんなに混雑していることは(あっしがここに通い始めてから)なかった。

さすが、朝ドラ『花子とアン』。NHK(笑)

あっしは、今まで朝ドラというものを視たことがない。だから、今回の企画展において、どのような展示になるのか興味があった。

なにしろ、弥生美術館の展示テーマは主に挿絵であって、人物そのものに焦点を当てている企画を観たことが(あっしは)なかったからだ。

村岡花子は『赤毛のアン』シリーズの翻訳者として知られている…、ようである。というのは、あっしはこの人を知らなかったからだ。『赤毛のアン』シリーズがあることは知っている。昔、TVで名作アニメの放映時間の中にあったことも知っている。(確か、1、2回は視たかもしれないが、アンのしゃべり方があっしには気恥ずかしくて、視るのをやめてしまった覚えがある。本も女の子向けだと思っていたから読んでいなかった)

で、朝ドラはドラマであって、多分途中まで『赤毛のアン』の「ア」の字も出てこないだろうし、要するに、翻訳者の翻訳作品紹介番組ではないわけ。

何が言いたいかというと、展示物(特に1階フロアの)は村岡花子の人生を紹介しているということ。もちろん、翻訳した本も展示されていますが、それは挿絵ではなく、書影だったり開いたページであったり。

いつもなら、注目する画家による挿絵原画だったり、雑誌の表紙絵だったりと、あっしの脳味噌にはわりかし素直に入ってくる。その人の人生は、いわば、おまけ的な簡易な紹介の場合が多く、絵の鑑賞を妨げることは少ない、と思っている。

ところが、今回はそれが逆になっていて、面食らってしまった、というのが本音なんです。

多分、朝ドラを視ている人はものすごく楽しく鑑賞できたのではないかなぁ。
それが証拠に、年配(特に女性)のグループで鑑賞している方々は、
「これ、あれじゃない?」
「あぁ、そうそう。あの場面で…」
なんて会話があちこちで。

2階フロアには、『赤毛のアン』の舞台であるグリーンゲイブルズの風景や、アンの住む家、アンの部屋などのイラストが飾られていたけど、1階に比べれば人口密度が低かった(笑)

やはり、ドラマをなぞっている部分の方が楽しいのかなぁ。


正直、今回はあっしの勉強不足を強く感じたわけで…。
(いつも勉強不足ではあるのですが(爆))


ミュージアムショップでいつものように、弥生美術館の学芸員が参画している「らんぷの本」を購入して退出。(あ、竹久夢二美術館も勿論観ましたよ)

その何日か後、孫の村岡理恵著『アンのゆりかご』という本を買ってみた。
が、まだ読んでない。

もしも、今回の企画展期日までに読み終わったら、もう一度弥生美術館に行くかもしれないなぁ(汗)
そしてこう言うのだ。
「あぁ、これがあの場面の…」
と。 (果たして間に合うか(笑))


『村岡花子と「赤毛のアン」の世界展』 ~本を道しるべに、少女たちのために~
弥生美術館
2014/7/4~2014/9/28

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