2014.09.21

『白蓮れんれん』 (林真理子著) を読む

20140921a

こちらでも書きましたが、朝ドラは視ていません。
どこかのHPに、「ヒロインは花子なのに、燁子にも人気があって、Wヒロイン状態だ。これって『アナと雪の女王』と同じパターンだね。」 なんて書かれていたのをみて、この本も読んでみました。

そしたら。

面白いじゃねーか。

小説だから、という注釈がつくからかもしれないけど、柳原白蓮(柳原燁子)の生涯は波瀾万丈。
大正十年に起こした所謂 「白蓮事件」 が皇室や貴族院などを巻き込むスキャンダルに発展してしまったのも、当時の社会情勢というか、華族制度、家族制度、法律からいえば当然のこと。
それをすべて認識しての行動ではなかったようであるが、相当程度は予想してのことのはず。それでも実行してしまった力の根源は、伊藤燁子(当時)と宮崎竜介の結びつきの強さに他ならない。

現代であれば、スポーツ紙や週刊誌、あるいはTVの情報番組の芸能コーナーで見ない日は無いであろう(あっしは読んでないけど)成り行きだから、特別な興味を持って追うことは少ないと思う。
けれども、大正時代は制度の時代。普通に、格や資産の異なる家の間での結婚さえ問題視される。もちろん浮気は姦通罪。北原白秋は告訴され、有島武郎は自殺する、といった事件の元になる法律である。

元々、伊藤伝右衛門との再婚でさえ華族と九州の石炭富豪という不思議なものである。実際は複雑な家族構成を持っていた伝右衛門に燁子はだまされた思いであると同時に、不信という言葉が芽生えたであろう。事件の根幹は既にあったといっても良く、なまじ有名であることがその身を縛ることになってしまったのも加わる。

とはいえ、伝右衛門も燁子の意に沿うように家を改築したり、別荘を建てたり、名士のサロンには自由に行かせたりと気は遣っていたようであるから、全くの悪者ということでもない。

結局、無かったモノは、信頼と育む愛、という結婚生活に必要な二つの柱だったのだろう。(あっしには分からんけど(笑))

そこに現れた宮崎竜介という人物が、柱を失っている燁子が命をかけたともいえる歌や戯曲の側から心を掴むという離れ業をやってのけたともいえる。(言い方はあんまり良くないかもしれないけど)
さらに、数は少ないにしろ、良い仲間に恵まれたこともあるだろう。

絶縁状を突きつけられた伝右衛門は、小説の中ではこうなることを悟っていたが示唆されている。本当かどうかは分からない。しかし、姦通罪で訴えることもせず、事件を収束させる方向で動いたことを考え合わせると、それはそれで自分の立場も考えたのであろう。

だけど、伝右衛門も結婚直後から予感していたのかもしれない。自身も、信頼と育む愛、という柱を失っていることに気がついていたはずだからだ。それに気がつかないほどの凡人ならば、炭鉱王になる頭脳も持ち合わせていないはずだから・・・、と思うが、世の中そうそううまくはいかないのですね。
ただ、引き際についてだけは、わきまえていた、と。

なんだか、伝右衛門の方に感想が引っ張られちゃったなぁ(笑)

なお、この本は白蓮と竜介の間に交わされた書簡が何通も登場する。
読んでいるこちらが赤面するほどの内容であるが、文字とそれらが往復する時間が互いに互いの愛を深めていくことを知らしめる。
それに比べれば、現代はいかに軽薄なことかと、チクリとされるのだ。

それと、本書には、村岡花子という名が登場するのは、気がついただけでは1カ所しか無かったです。

『白蓮れんれん』
林真理子著
集英社文庫

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014.08.08

『みて、きいて、ふれる-この夏に知る戦後の労苦』 (平和祈念展示資料館) を観る

20140808a

この夏、昭和館しょうけい館、そしてここ平和祈念展示資料館の、3館連携企画ということでスタンプラリーをやっている。
あっしは知らなかったのだが、最後に来た平和祈念展示資料館でラリー用のシートをもらったので、先の2館はもう一度行かなければならない(笑)

平和祈念展示資料館は、新宿住友ビルの48階にある。
このビルには初めて入ったが、エレベータが全階共通ではなく、例えば48階から52階用でそれ以外は停止しないといった使われ方をしている。だから、別のエレベータに乗ってしまうとたどり着かない(笑)

これら3館の展示内容はそれぞれ分野が異なり、平和祈念展示資料館では、
・召集・入営・兵士の装備
・戦後の強制抑留(特にシベリア抑留)
・海外からの引き揚げ
といったところに焦点が当てられている。

いずれのコーナーにも豊富な展示物があり、実物大ジオラマもある。
(ただし、リアル感としてはしょうけい館の野戦病院の方が上かなぁ…)
また、シベリア抑留の収容所全景のモデルがあったり。

とにかく、シベリア抑留に関しては、悲惨としか言いようがない。
ノルマのきつい強制労働、少ない食料、非常な寒さ。
最初の1年で多くの人が亡くなったという。

人が生きていくためには食料が最も重要であることも説明で示されている。
塊で渡される黒パンを平等に切り分けるための苦労や、それによる仲間間の争い。
飢えをしのぐために防寒着を手放してしまうほどの切羽詰まった状況。

極寒の地では、亡くなった仲間を埋葬することもできず、ただただ遺体に雪をかけただけだという。

また、戦後、大陸に残された人々が日本に帰還することも大変であったそうな。
食料はもとより、医療品もなく、せっかく帰還船に乗ることができても日本の地を踏むことができなかったという人々も多いという。

体験コーナーでは、防寒着を着ることができたり、軍装リュック(約20kg)を持ち上げたりといったことを体験できる。また、行動用ラッパのメロディーを聴くこともできる。ちなみに、某胃腸薬で使われているラッパのメロディーは、食事開始のモノだと言うことが分かった(笑)

この日は、子供向け企画として、これらの展示とは別に用意された実物資料(複製を含む)を使って、多くの説明員が説明に当たっていた。あっしもそれに混ざっていろいろと疑問点を聞いたりした。
たとえば、
・慰問袋は本当に届いていたのだろうか?
  (もちろん最初は届いていたんだろうけど、制空制海権をとられた後はどうだったのだろうか)
・(置いてあった)防弾祈願チョッキの裏地に使われているのが紙布のようであるが?
  (これはたまたま『底のない袋』(青木玉著)の中の「紙を着る」という随筆を読んだばかりだったので)
また、シベリア抑留から帰還する際、ソビエトから新しい防寒着を支給されたといった話も聞いた。(これは抑留中にもソビエトは抑留者に適切な扱いをしていたというカモフラージュのため)
などなど。

なお、合わせて企画展が開催されていて、「酷寒の地 シベリアを描く 早田貫一抑留絵画展」も観る。
茫洋として半ば絶望的なモノを感じさせるが、なぜか筆使いは柔らかい。失った仲間達への鎮魂のためなのであろうか。

先の2館もそうであるが、実物資料を前にすると、本や映像を経由して記憶していたものを凌駕する。
だから、だから、こういった資料館をもっと活用してもらいたい。

(51階は無料展望室なのだが、知らなかったので行かなかった。あぁもったいない(爆))



『みて、きいて、ふれる-この夏に知る戦後の労苦』
平和祈念展示資料館
2014/07/19~2014/08/31

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014.08.05

『義肢に血が通うまで -戦傷病者の社会復帰と労苦-』 (しょうけい館) を観る

20140805a

昭和館の企画展を観た後、靖国通りを神保町方面に歩いて行くと、変な看板が目に入った。

しょうけい館、とは聞いたことが無い施設名だったが、どうやら戦争に関する展示を行うようだ、ということで、小さな路地に入って入り口を探した。

20140805b

すると、割と立派なビルのガラス窓に同じ画像が貼られていた。

しょうけい館とは、戦傷病者史料館が正式名称らしいが、要するに戦争で腕や脚を切断せざるを得なくなったり、失明したりと、障碍をもつことによる苦労と生活の再建への取り組みを紹介するのが目的のようである。

1階が企画展で「義肢に血が通うまで」、2階が常設展示となっている。
また、1階には映像コーナーや関連書籍、情報検索用PCなどを使用できる場所もある。

まずは企画展を観てみる。

主に義肢や義足の実物を展示しているのだが、その歴史は古く、日本では西南戦争の頃から少しずつ普及していったようである。当初は失った部分の見栄えを補完する審美的義肢から、その後は実用性(作業性)を重視した作業用義肢に重点が変化していく。
これは、義肢を装着する本人が、作業することを通して社会に復帰していくことを示している。
しかし、そうはいっても簡単なことでは無い。
各種の作業のための義肢が開発され、それを使って訓練を行い、身を立てられるようにするには血のにじむような努力が必要であったろう。
それこそが、ここでいう「義肢に血を通わせる」ことになるのだ。

既に現代の技術では、義肢に神経を通わせることも可能になりつつある。

現代日本では、戦争による四肢の欠損といったことは、もはや無いと言えるが、交通事故や労働災害、疾病などでやむなく必要になる人もいる。だから、義肢の性能向上についてはたゆまぬ性能向上が必要とされるだろう。

また、国外に目を向ければ、戦争が日常になっているところも多く、毎日のようにニュースで報じられている。
そのような場所では、今でも義肢を必要とする人々が増え続けているのだろう。
いつまでこんなコトが続くのか…。


さて、2階へ。
見所は、兵士が受傷したときの衣服だったり、眼鏡だったり。摘出した弾丸だったり。

さらにびっくりするのが、野戦病院の実物大ジオラマ。
薄暗い洞穴には受傷した兵士が3人。
一人は洞穴の壁際で銃を持ちつつ虚ろな目をしている。
一人は運び込まれた担架に乗せられたまま地面におかれてい、片手を虚空に伸ばしている。
もう一人は粗末な台の上で軍医によって弾丸の摘出手術を受けている最中。口には棒をかませ、麻酔なしの痛さに弓なる背中を押さえつけるために衛生兵が二人がかりで兵士を押さえつけている。
そしてまた一人、洞穴には肩を担がれた兵士が入ってくる。

いやはや、背筋が冷たくなるほど良くできている。
長居はしたくないけど、ナレーションを聞き終わるまで動くことができなかった。

終戦。
帰国する病院船である氷川丸の映像であったり、箱根の療養所で使われた車いすであったり。

それらを見て気がついたのは、傷病者の来ている服は白いのだ。

ここであっしの古い記憶の話になる。

幼稚園か小学校低学年の頃だったか。
親戚の家に行くために車で上野のガード下を通り過ぎると、レストラン聚楽と京成上野駅入り口の間に階段がある。(階段は今でもある)
その階段の両端には白い衣装を着た人が下から上まで何人かずつ並んでいた。
中には、明らかに両手両足の長さが足りていない人もいた。
幟や看板みたいなものがあって、何かが書かれていたような気もする。

いつの頃からか、そういう人は見当たらなくなり、似顔絵描きの人なんかに変化していったのだが、白衣装の人の記憶は、脳味噌の奥底に沈んでいた。

ところが、今回の展示を見て、「あぁ!」とつながったわけである。
あれから30年、40年。もう彼らはこの世にはいないのだろう。
でも、あっしは覚えていた。
そして、これからも忘れないはずだ。

大きくはない展示設備であるが、一度は観ておくべきであろう。


『義肢に血が通うまで -戦傷病者の社会復帰と労苦-』
しょうけい館
2014/07/23~2014/09/15

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014.08.02

『空襲とくらし ~そのとき、人々は…~』 (昭和館) を観る

20140802a

あっしのような、戦争を知らない子供達は、知らないこと自体が危険性をはらんでいると思う。

だからというわけでもないが、あっしは高校を卒業したあたりだろうか、その頃から夏になると第二次世界大戦に関する書物、特に日本からの視点、日本への視点について少しずつ読むようにしてきた。残念ながら、その頃読んだ本の記憶はほとんど脳味噌の中の開かない引き出しに仕舞い込まれてしまったが…(汗)

書物だけではなく、TVでもこの時期あるいは開戦したころには特集番組が組まれたりして、時間があれば視る。

ただし、それらはあくまで紙の上や、画面の中の出来事であって、その時はなんだか納得した気分にはなるのだけれども、戦争と自分の間には非常に大きな隔たりがあるため、衝撃を受けることは大なるも忘却も早いという難点があるわけである。

そこで昭和館なのである。

ここで行われる企画展は無料なので気安く観ることができる割には、現物資料を間近に捉えることができることが大きい。毎回視点を変えて行われるので、マンネリ感も小さい。

今回は空襲について。

あっしが覚えているのは、B29からバラバラと投下される焼夷弾によって、地上に次々と光が広がっていくという光景である。

実際には、既に昭和8年に大阪で空襲に対する訓練が行われていたということで、本土空襲の危機感が無かったわけではないようだ。しかし、それに対して、空襲などあるはずが無い、といったような新聞記事が載るようなこともあり、どこまで政府や軍部が空襲に対して考慮していたのか分からない。

また、敵から入手した焼夷弾による家屋の消火訓練の映像も視ることができた。
たった1発の焼夷弾が1軒屋に当たって燃え上がったところを、手動ポンプ、水バケツリレー、砂バケツリレーなどの方策で消し止めた、というものである。それも、何十人も人をかけて。
ナレーションでは、この訓練結果から「焼夷弾恐るるに足らず」と述べていた。

ここで思い出すのは関東大震災である。
焼夷弾でも無く、地震による個別の火災さえ防ぎきれず、焼け野原になったことを忘れているのだろうか。
焼夷弾が1発だけしか投下されないとでも考えていたのだろうか。
そんなとき、消火のための水や装置や人員が足りると考えていたのだろうか。

なんだか、こういうことでさえ東日本大震災の後のための教訓として生かされることも無いのでは?と不安になる。

結局、日本は制空権を失い、空襲は激しさを増し、学童疎開、工場疎開などの対応を迫られた上に、結局はご存じの通りの結果となったわけである。

一般市民は何もしなかったわけでは無い。
政府や軍部の命令に従い、準備をし、訓練をし、助け合ってきたのだ。
しかし、市民の力はあまりにも小さすぎた。

この企画展では、あくまで市井の人々からみた戦争を扱っているから、上層部の(対外的)判断決断については何も語ってはいない。だからこそ、このような生活が自分に降りかかることを考えたときに何ができるのかを、いや、そうしないためにはどうせねばならないのかを考えなければならないのだろう。



『空襲とくらし ~そのとき、人々は…~』
昭和館
2014/07/26~2014/08/31
入場無料

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013.11.22

『二年後。自然と芸術、そして レクイエム』 (茨城県近代美術館) を観る

20131122a

東日本大震災から、ちょうど2年。
そのタイミングで、この企画展が開催された。

人の暦で、2年。

はたして、その時間は何を意味するのだろう。


展示物の中で圧巻だったのは、やはり、横山大観の『生々流転』だろう。

元々国立近代美術館の所蔵品であるが、以前そこで観たときは前半部分だけが展示されていた。(後半部分は別の期間に)

今回、美術館の展示スペースの幅いっぱいを使って、丸々一巻、最初から最後までを展示。
これだけでも足を運んだ価値があった。

山奥に降る雨。
川となり、谷を下り、飛沫を立て、あるいはゆったりと。
やがて海に至り、黒い渦を巻き、再び天へと。

墨の濃淡で表された自然は、大地と植物が主体であり、人間を含む動物はほとんど登場しない。
最後の黒い渦は、一見しただけだと単なる黒一色の嵐かと思ってしまうが、よくよく見れば、将に昇らんとする大きな龍の姿が隠れている。

多分、この巻物にとって、人間は描くに値しないくらいの存在でしかないのだ。
大地に水が循環する時間。
龍の姿に変わり、再び空から舞い降りるまでの長い時間。
それが繰り返される間に、大地が音を立てたり、山の様子が変わったりするのだろう。

その中で、ほんの少しの場所と期間を人間に与えられているだけなのだ。
変化していく世界の、隙間を縫って生きている我々にとって、それ自体が取るに足らないことだと。

この感じが大観の意図に沿っているかどうかは別として、一つの作品は一度に全部観るべきだね。
期間を分けて前半・後半なんてのじゃ、作品の流れが把握しにくいもん。

(ただし、巻物の本来の鑑賞の仕方は、所定の長さを鑑賞しつつ巻いていく、らしいのだが、ホントだろうか)

『二年後。自然と芸術、そしてレクイエム』
茨城県近代美術館
2013/02/05~2013/03/20

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013.10.10

『エネルギー革命』 街中の劇物 2013-02

20131010a

これもどこだったか覚えていないのだけど、おそらくは、お茶の水のビル工事現場だったのではないかと。

工事現場で発生する建築廃材を、うまくリサイクルして、省資源、エネルギーの有効活用に向ける、ということだろう。

アスファルトやコンクリート、木くず等は、再生材として。
廃プラスチックや廃石膏ボード、再生して新品に。

ところが。

なんと…。

何もないところから、「熱エネルギー」を作り出しています。

素晴らしい!!

石油資源も、太陽エネルギーも、風力も、何もいらない。

何もないところから、熱エネルギーを生み出している。

それを、そのまま熱として利用したり、発電したりすれば、無限にエネルギーを取り出すことができるんですね。
さすが日本の企業だ(笑)

これで温暖化は解決したも同然ですなぁ…。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013.10.04

そんなこと言われても…

20131004a

ハードディスクにおいてあるデータを確認していたら、こんな写真があった。

これは、『ヨコハマ ヨコスカ ストーリー』という、神奈川県立歴史博物館でやっていた特別展を観に行ったとき、桜木町から散歩している途中で見つけたモノ。

横浜税関の前にある電光掲示板だったと思うけど、いくつかのパターンのうちで最も内容が変というか、えっ?と思ったもの。

*******************
税関では
麻薬・けん銃などの
密輸に関する情報を
お待ちしております。
*******************

イヤイヤ、一般人が密輸なんて、しかも麻薬や拳銃なんて。
余程のことがないと(笑)

逆に聞きたいんだけど、そんなに情報が集まってくるんでしょうかねぇ?
横浜特有なんでしょうか。


ということで、こういう小さなネタがあったら、かつ、気が向いたら、
またアップしましょうかね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013.01.03

『日中国交正常化40周年 特別展 中国王朝の至宝』(東京国立博物館) を観る

2013010302

昨年の11月某日。

中国の文物は、なにかしら惹き付けられるモノがある。

それはやはり歴史の重みを感じるからであり、日本がその影響を受けてきたということもあって、西洋の歴史的事物に比べて親しみを覚えるからでもある。

東京国立博物館では今までにも中国文明に関する特別展を数多く開催しており、あっしが最初に観たのは2006年の『書の至宝』だったかな。
その後、『北京故宮博物院200選』まで空いてしまったけど。(その間にもいくつかの中国関係の特別展があったけど、見逃した(汗))

あっしがそれらを観たときは、混雑もイヤになるほどで、展示物とは別に観覧環境としては甚だ悪い印象しかない。

ところが、今回は違った。
それなりに人は入っているのだが、長蛇の列という言葉は全く必要のない状態。
思い当たるのは、昨今の尖閣問題なのだが。
まぁ、それはそれとして、政治と文化交流は切り離してほしいですな。
国対国もそうだし、それぞれの国民間も。その国自体に対する感情はともかくとしてね。

もう一つ違ったことがあった。

それは、音声ガイド。

今回の特別展では、2種類の音声ガイドがあって、ひとつは従来の普通のもの。もうひとつは、音声に「キングダム」というアニメーションの声優二人がかけあいをしている部分のあるもの。
あっしは、後者がオススメなんです、という案内嬢の言葉を受けてそれを使ったんですが・・・。

ダメだ。あっしには。

アニメ調(といっても見ていないので分からないんだけど)の会話が、展示されている文物と全然マッチしていないので、興が削がれるというか、なんというか。
だから、その世界に浸ろうという気分になりきれず、せっかくの文物の凄さや重みが受け取れなかった(涙)

それ以前に、今回の特別展では、書以外の陶磁器や金属工芸品などが主であって、あっしにとっては漢字成分が少なくて物足りなかった、というのもある。

ということで、今回はちょっとなぁ、という…。

まぁ、こんなこともあるよね。
観る人が観れば、また違う感想もあるだろう。

『日中国交正常化40周年 特別展 中国王朝の至宝』
東京国立博物館
2012/10/10~2012/12/24

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.08.19

『帰還への想い ~銃後の願いと千人針~』 (昭和館) を観る

2012081604

たぶん、あっしはこの時期になると昭和館の企画展を見学することが習わしになっている(はず)。

戦争を知らない子どもたちであるあっしは、自らが、まずは情報を取り込むようにしなければならないと思っている。
一時期は夏になると、太平洋戦争関係の本を選んで読んだりしていたが、さすがに(老眼もあってか(笑))読み続けるのも辛くなってきた。

ということでもないけど、実際の「モノ」を見ることの大事さは、一冊の本を読むよりも多くのことを感じることができたりすることがあるからだ。

今回の企画展では、出征する夫、息子、知人と無事に再会することを願う人々の想いが詰まっている。

召集令状。
話には聞いたことがある千人針。
寄せ書きや幟。
戦地と内地を往復する手紙。

もうね。
胸が詰まります。

という言葉では何も伝わらないけど。

現代日本では考えられない状況の下、想いを込めることしかできない人たち。
死と隣り合わせの愛する人に、毎日陰膳を据える家族。

なんだろうね。
それが現実だった時代って。

その時代から今まで、時間は連続しているのに。
何もかもが変わってしまったのに、変わったことに気がつかない。
あるいは、気がつかなかった振りをしているのかも。

だからこそ、時間を遡る必要がある。
必ずしも幸福な時代ではないけど。
また、年がら年中遡る必要もないけど。

『帰還への想い ~銃後の願いと千人針~』
昭和館
~8/26

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.06.03

『特別展 ヨコハマ ヨコスカ ストーリー -二つの港町の戦後文化-』 神奈川県立歴史博物館 を観る

2012060202

先週見学を断念したボストン美術館展をと、久々の東京週末フリーきっぷを使って東京方面へ。

と、思ったんですが、それだけでは面白くないというか、もう少し足をのばしたいなぁと考えて、神奈川県へ突入です。

ヨコハマ。

あっしが横浜に足を運んだのは、もういつだったか覚えていないくらい。
会社に入りたての頃は、一時期もう少し西側にいたこともあって、頻繁に横浜あたりをうろついても良さそうなもんなんですけど、出不精だったのでねぇ。

それはともかく。

横浜周辺の博物館や美術館で面白そうな所はないかと探していて見つけたのがコレ。

どうやら山口百恵が出るんじゃないかというようなタイトルですけど(笑)

桜木町で電車を降りて、日本丸、赤煉瓦倉庫、といったところを見てから目当ての神奈川県立歴史博物館へ。
ちょっと遠回りをしてしまいましたが。
知らなかったんですけど、この日は横浜開港記念の催しがあったらしく、たくさんの人が桜木町から出てきました。

さて。
この博物館は、明治時代にできた横浜正金銀行の建物で、なかなか重厚な造り。

2012060203

この入口が博物館の玄関かと思ったら、実は反対側が正面玄関のようです。
ただ、どうせならこの入口を入って、気分を高めてから、ね。

話はそれますが、ここに来るまで他にもいろいろと由緒がありそうな建物がたくさんありました。
そんなことならもっと時間をとって歩き回るような予定にしておけば良かったですよ。


『ヨコハマ ヨコスカ ストーリー』
このタイトルからは、今ひとつ催事の内容が掴めません。
いずれも港町、そして終戦後占領下のある時期に日本であって日本でないような体験をした場所と言えます。
あっしは戦後大分経ってから生まれてますから、全てが後情報、後知識でしかなく、特に言うべき言葉は持ち合わせていません。逆に、積極的にそういった情報を得ようと思ったこともなく、今日まできているという感じです。

会場には、戦後のヨコハマやヨコスカの様子を写した写真がたくさんあって、ピントのはっきりしないモノクロの画像は、今からでは想像できない日本の姿が残されている。

占領下、進駐軍など、知っている言葉と、その当時の生活がうまく結びつかないあっしにとって、何をどう感じればいいのかさえ分からない。

ただ、当時の輸出品として、スカーフなどの生産品が展示されていて、「MADE IN OCCUPIED JAPAN」というタグがついているのを見て、ずっと前に読んだ かんべむさし の『メイド・イン...』という短篇の印象が浮かんできた。
この作品も占領下でつくられたものに「MADE IN OCCUPIED JAPAN」と書かれていたことを題材にしていたような記憶があって、微妙なやるせない読後感だったような。

戦前、戦後、占領下、現在。
どんなときでも何らかの方法で生きていく糧を得なければならない。
占領下では、それがタグ付きの記録として残ってしまうものもあったのだ。

でもなぁ。
ホントは、どんなものにでも見えないタグがついているんだよね。
別に誰かが付けているわけではないんだけど。
何かが特別で、何かは特別でない、なんて。
それぞれの人にはそれぞれの特別さがあるし、立場や想いが込められているのだ。
そういうものに、ちょっとだけ気付かされたような気がする。

雰囲気変わって。
会場の途中から、どこからともなくジャズが聞こえてくるようになっている。
日本のジャズは進駐軍から始まっている、のかどうかは知らないが、少なくともそれを加速したのは間違いがないだろう。
フィーチャーされているのは原信夫。
原信夫とシャープス&フラッツ。
残念ながら、名前は知っているけど積極的に聴いたということはない。
それはともかく、ジャズが乾ききった空気を徐々に潤していったような感じで広まっていったであろうことは想像に難くない。新しもの好きは日本人の特徴ですから(笑)
壊れてしまったものを、もう一度組み立てていくのに、今までの方法であっても構わないし、全く新しい方法でも構わない。それが音楽であっても。


一通り会場を回り、結局、分かったつもりにもなれなかったかなぁ。
ただ、ヨコハマ、ヨコスカが結果的に担った歴史的な意味というか、現在に繋がる道の、少し先を歩いていたんだなぁ、という雰囲気を感じたとでも言いましょうか。

『特別展 ヨコハマ ヨコスカ ストーリー -二つの港町の戦後文化-』
神奈川県立歴史博物館
~6/17(日)


このあと、東京に戻って、いよいよボストン美術館展へ・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)