2015.04.13

『シャッターの向こう側』 街中の劇物 2015-05

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( ↑ クリックすると拡大します)


閉まっているシャッターには、よく張り紙がしてあります。

これもそんな張り紙の一つ。

シャッターの一部に開いた穴に矢印を付けて、



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郵便物は
この中に
落とし入れて
下さい。
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と書かれています。
なにも「落とし入れて」なんて書かなくたって。

郵便屋さんにとって、シャッターの向こう側がどうなっているのか窺い知ることはできません。

しかし…。

このシャッターの向こう側には、郵便物が落ちるのに十分な高さがあるようですが、ひょっとすると、落ちた音がしないほど深い空間が広がっているのかもしれません。

知っているのは、このシャッターの向こう側の人だけなのです。

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2015.03.18

『狭くても、庭付き一戸建て』 街中の劇物 2015-01

さてさて、久しぶりに『街中の劇物』(まちなかのげきぶつ)ですよ。

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たぶん、2006年の総武線小岩あたりの車窓から。

どういうわけか屋根の一部分に、緑色の人工芝ブロックが乗っかっています。

広い屋根の凸凹に合わせてはめ込まれているようです。

狭くても、この部分だけは「庭」。
庭といったら庭なのです。

庭付き一戸建てといえば、家を建てる人の夢ですよね。
こんな夢の実現方法もあるのです。

って、あるわけないっ。

一体どこから飛んできたんでしょうね、これは。

きっと、どこかの一戸建てからの贈りもの、なんでしょう。
贈られた家の人は知らずに過ごしているのかもしれませんが。

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2014.09.04

あまり知られていない中原淳一の仕事 『婦人文庫』

中原淳一といえば、

・少女の友
・それいゆ
・ひまわり
・ジュニアそれいゆ

といった雑誌の仕事や、ファッションそのもの、ファンシーグッズなどの先駆けなどで知られている。

『少女の友』は大東亜戦争に突入する前年に軍部からの圧力で雑誌から降板している。
したがって、戦後は『それいゆ』から始まったということになる。

『それいゆ』は、中原淳一が全面的に手をかけて出版した最初の雑誌であるから、確かにその通りであろう。
ちなみに、『それいゆ』(創刊号では『ソレイユ』)が発売されたのは終戦からちょうど1年後の1946年8月15日である。

ところが・・・。

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この写真の雑誌は、『婦人文庫』というもので、1946年5月創刊である。
鎌倉文庫という出版社の発行であるが、川端康成が大いに関係しているらしい。
また、川端康成は、小説『乙女の港』の挿絵を中原淳一が手がけていたりしたことから声をかけたのであろう。

なお、手元には、1946年6月号(5月20日発行)の創刊第2号からがある。(写真左上)
つまり、創刊号はおそらくひと月は前であろうから、1946年4月には発行されているはずだ。

創刊第3号(1946年7月号)から、中原淳一の表紙絵に変わっている。右下のものは1949年の4月号(3月発行)なので、少なくとも3年以上は表紙絵を担当していることになる。
画風は初期の『それいゆ』のように、輪郭線をほとんど強調しない柔らかな感じを醸している。

さらに、驚くのは、

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創刊第2号では表紙絵は担当していないものの、『それいゆ』の連載でも有名な「それいゆぱたーん」を彷彿とさせるファッションページを描いているのである。
タイトルは、「モンペやゆかたで出来たドレス」。
中原淳一得意の、生地の使い回しやちょっとした工夫で新しいモノを作り出す、というやつ。

中原淳一自身は、1945年8月に復員してから、自らが理想とする女性のための雑誌『それいゆ』を出そうとして奔走していた時期であろう。
ただし、タイミングとしては、雑誌に登場するのは『婦人文庫』の方が早く、上で述べたように「それいゆぱたーん」の構想を実験的にこの雑誌で行っていた可能性がある。

実際、写真下の2冊(1949年2月号、4月号)では、表紙絵しか担当しておらず、「それいゆぱたーん」的ページは他の人が担当していた。
これは、既に『それいゆ』が軌道に乗ったことに他ならない証拠ではないか。

しかし、昨年から今年にかけて開催された
『生誕100周年記念 中原淳一展』 (こちらこちら
では、一つも話題になっていなかった。

まぁ、『少女の友』や『それいゆ』・『ひまわり』などに比べれば、仕事としては小さいのかもしれない。(ちなみに、10年前の『没後20年 中原淳一展』の図録も古書店で入手してあるけど、関係する記載がほんの少しの文章で説明があった)

いずれにしても、終戦直後の短い間に自分の雑誌のために試行錯誤をしていたことは、これらをみれば明らかだろう。

なお、茨城県現代美術館で行われた「ひまわりや」代表の中原利加子さんの講演のときに、この雑誌について聞いてみたら、「珍しいですね。原画は失われているので貴重です」といったことを言っていただいた。
そしたら、あっしの周りにいた人が集まってきて「ちょっと見せてください」というので、どうぞどうぞ。
中には「あなたは研究者か何かですか?」なんて聞いてくる人もいた。
ただの、変なおっさんです。ハイ(笑)

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2014.08.29

『村岡花子と「赤毛のアン」の世界展 ~本を道しるべに、少女たちのために~』 (弥生美術館) を観る

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好きな美術館を選べば、トップ3には入る弥生美術館ではあるが、今までこんなに混雑していることは(あっしがここに通い始めてから)なかった。

さすが、朝ドラ『花子とアン』。NHK(笑)

あっしは、今まで朝ドラというものを視たことがない。だから、今回の企画展において、どのような展示になるのか興味があった。

なにしろ、弥生美術館の展示テーマは主に挿絵であって、人物そのものに焦点を当てている企画を観たことが(あっしは)なかったからだ。

村岡花子は『赤毛のアン』シリーズの翻訳者として知られている…、ようである。というのは、あっしはこの人を知らなかったからだ。『赤毛のアン』シリーズがあることは知っている。昔、TVで名作アニメの放映時間の中にあったことも知っている。(確か、1、2回は視たかもしれないが、アンのしゃべり方があっしには気恥ずかしくて、視るのをやめてしまった覚えがある。本も女の子向けだと思っていたから読んでいなかった)

で、朝ドラはドラマであって、多分途中まで『赤毛のアン』の「ア」の字も出てこないだろうし、要するに、翻訳者の翻訳作品紹介番組ではないわけ。

何が言いたいかというと、展示物(特に1階フロアの)は村岡花子の人生を紹介しているということ。もちろん、翻訳した本も展示されていますが、それは挿絵ではなく、書影だったり開いたページであったり。

いつもなら、注目する画家による挿絵原画だったり、雑誌の表紙絵だったりと、あっしの脳味噌にはわりかし素直に入ってくる。その人の人生は、いわば、おまけ的な簡易な紹介の場合が多く、絵の鑑賞を妨げることは少ない、と思っている。

ところが、今回はそれが逆になっていて、面食らってしまった、というのが本音なんです。

多分、朝ドラを視ている人はものすごく楽しく鑑賞できたのではないかなぁ。
それが証拠に、年配(特に女性)のグループで鑑賞している方々は、
「これ、あれじゃない?」
「あぁ、そうそう。あの場面で…」
なんて会話があちこちで。

2階フロアには、『赤毛のアン』の舞台であるグリーンゲイブルズの風景や、アンの住む家、アンの部屋などのイラストが飾られていたけど、1階に比べれば人口密度が低かった(笑)

やはり、ドラマをなぞっている部分の方が楽しいのかなぁ。


正直、今回はあっしの勉強不足を強く感じたわけで…。
(いつも勉強不足ではあるのですが(爆))


ミュージアムショップでいつものように、弥生美術館の学芸員が参画している「らんぷの本」を購入して退出。(あ、竹久夢二美術館も勿論観ましたよ)

その何日か後、孫の村岡理恵著『アンのゆりかご』という本を買ってみた。
が、まだ読んでない。

もしも、今回の企画展期日までに読み終わったら、もう一度弥生美術館に行くかもしれないなぁ(汗)
そしてこう言うのだ。
「あぁ、これがあの場面の…」
と。 (果たして間に合うか(笑))


『村岡花子と「赤毛のアン」の世界展』 ~本を道しるべに、少女たちのために~
弥生美術館
2014/7/4~2014/9/28

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2014.08.02

『空襲とくらし ~そのとき、人々は…~』 (昭和館) を観る

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あっしのような、戦争を知らない子供達は、知らないこと自体が危険性をはらんでいると思う。

だからというわけでもないが、あっしは高校を卒業したあたりだろうか、その頃から夏になると第二次世界大戦に関する書物、特に日本からの視点、日本への視点について少しずつ読むようにしてきた。残念ながら、その頃読んだ本の記憶はほとんど脳味噌の中の開かない引き出しに仕舞い込まれてしまったが…(汗)

書物だけではなく、TVでもこの時期あるいは開戦したころには特集番組が組まれたりして、時間があれば視る。

ただし、それらはあくまで紙の上や、画面の中の出来事であって、その時はなんだか納得した気分にはなるのだけれども、戦争と自分の間には非常に大きな隔たりがあるため、衝撃を受けることは大なるも忘却も早いという難点があるわけである。

そこで昭和館なのである。

ここで行われる企画展は無料なので気安く観ることができる割には、現物資料を間近に捉えることができることが大きい。毎回視点を変えて行われるので、マンネリ感も小さい。

今回は空襲について。

あっしが覚えているのは、B29からバラバラと投下される焼夷弾によって、地上に次々と光が広がっていくという光景である。

実際には、既に昭和8年に大阪で空襲に対する訓練が行われていたということで、本土空襲の危機感が無かったわけではないようだ。しかし、それに対して、空襲などあるはずが無い、といったような新聞記事が載るようなこともあり、どこまで政府や軍部が空襲に対して考慮していたのか分からない。

また、敵から入手した焼夷弾による家屋の消火訓練の映像も視ることができた。
たった1発の焼夷弾が1軒屋に当たって燃え上がったところを、手動ポンプ、水バケツリレー、砂バケツリレーなどの方策で消し止めた、というものである。それも、何十人も人をかけて。
ナレーションでは、この訓練結果から「焼夷弾恐るるに足らず」と述べていた。

ここで思い出すのは関東大震災である。
焼夷弾でも無く、地震による個別の火災さえ防ぎきれず、焼け野原になったことを忘れているのだろうか。
焼夷弾が1発だけしか投下されないとでも考えていたのだろうか。
そんなとき、消火のための水や装置や人員が足りると考えていたのだろうか。

なんだか、こういうことでさえ東日本大震災の後のための教訓として生かされることも無いのでは?と不安になる。

結局、日本は制空権を失い、空襲は激しさを増し、学童疎開、工場疎開などの対応を迫られた上に、結局はご存じの通りの結果となったわけである。

一般市民は何もしなかったわけでは無い。
政府や軍部の命令に従い、準備をし、訓練をし、助け合ってきたのだ。
しかし、市民の力はあまりにも小さすぎた。

この企画展では、あくまで市井の人々からみた戦争を扱っているから、上層部の(対外的)判断決断については何も語ってはいない。だからこそ、このような生活が自分に降りかかることを考えたときに何ができるのかを、いや、そうしないためにはどうせねばならないのかを考えなければならないのだろう。



『空襲とくらし ~そのとき、人々は…~』
昭和館
2014/07/26~2014/08/31
入場無料

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2013.02.19

『生誕100周年記念 中原淳一展』 (日本橋三越) を観る (記事化予告編(笑))

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ということで、先日行ってきました。

もう涙モノですね。

詳細は追って…。

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2012.12.09

『田村セツコ展~HAPPYをつむぐイラストレーター~』(弥生美術館)を観る

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行っておいてナンですが、田村セツコという名前を全然存じ上げず…。

ただ、そのイラストは記憶にありました。
それはこちらに

その展示では、数ある「かわいい」系のイラストレーターの一人としていくつかの作品を採りあげられていました。でもその時は名前までは記憶に残らなかったのです。

さて。

今回、弥生美術館に来たとき(注:10月の中旬のことです)、たまたま開館時間よりも前に到着してしまいました。実際は、あっしが開館時間を勘違いして、既に開いているものと思っていたんですが(汗)

チケットを買ったとき、「1階フロアは準備できていますので」ということで開館時間前に無事入ることができました。もちろん、一番乗りでした(笑) ご配慮ありがとうございました。(ただ、2、3階はまだ準備ができていないので…時間になるまでお待ち下さい、とのことでした)

1階フロアは、言わばイラスト修業時代の作品から初期の雑誌掲載作品など。(ちょっと記憶が曖昧)

見始めてしばらくすると、ちょっと高い声のおばちゃんがフロアに入ってきた。
最初、他の年配の夫婦らしき人と話していて、ライティングがどうの、なんて単語が出てきていたので、何かの関係者なんだろうなぁ、なんて思ったのでであるが。

気になって、どんなおばちゃんだ?と振り向いてみると、白いフリルのついたシャツに黒いスカートを着た小柄の人物。(実は、パンフレット左下に載っている写真と同じ姿!)
なんと、田村セツコ本人だった。(以下セツコさんと書きます)

あっしはそのことに気がついた瞬間、何が起きたんだか分かりませんでしたよ。
実は、今回の展示期間中に何度か本人のギャラリートークやサイン会が行われることになっているんですが、この日は別の日。予定外。

すぐにセツコさんはあっしに声をかけてくれまして、あっしはどぎまぎしながら「今日は一番乗りしてしまいました」なんて、変な受け答え(笑) 「ゆっくりとご覧になって下さい」とかなんとか言われたような…。
セツコさんは、あっしよりも背が低くて、服装も相まって、とてもかわいらしい感じ。

なんだかフワフワした心持ちのまま、1階フロアを見終わり、2階へ上がると…。

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階段を登り切ったところの壁には、直筆イラストが。

通常は館内は撮影禁止なんですが、ここだけは今回撮影OK。
セツコさんもいらして、美術館の人にツーショットをお願いし、快く引き受けていただけました。
ありがとうございました。

2階もまた、フワフワしながら見学し、なんだか記憶が曖昧です。
ただ、コラージュ作品が沢山展示されていて、その制作意欲の強さがひしひしと感じられます。


その後、3階の高畠華宵の部屋、2階に戻ってから竹久夢二美術館に入って、ふたたび美術館入り口へ。

すると、入口にある小さなミュージアムショップのベンチで、セツコさんが年配の女性と話をしていた。
またお会いして、ちょっと挨拶をして、あっしはショップで本(今回の展示をまとめたもの)を購入してからベンチのセツコさんに「申し訳ありませんが、サインをお願いします!」

セツコさんはわざわざあっしを隣りに座るよう促し、話をしながらサインをしてくれました。

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今日弥生美術館に来たのは、外国からのお客様をご案内するために待ち合わせをするため。
(その方のお手紙も見せてくれました)
今回の展示の打合せの際に観た怪獣の(←大伴昌司展のこと)はとても面白かった。

などなど。


いやぁ、なんだか今年一年の一番良いところがこの日だったみたいな感じになっちゃった。

本を読んでみると、やっぱり人柄とイラストはリンクするんだな、なんて。
今もまだエネルギッシュに創作活動をしているし、個展なども頻繁に開催しているようで、見習わなけりゃなぁ。


ありゃ、なんだか作品自体への言及が少ないですね。
詳しくない人でも、この本に目を通すと今よりも少しは心が豊かになったような気がしますよ。
オススメです。

『田村セツコ展~HAPPYをつむぐイラストレーター~』
弥生美術館
~2012/12/24

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2012.09.30

『生誕100年・没後30年記念 戦中・戦後を彩った中原淳一の魅力』展 @昭和館 は2013/03/16より

新しく情報を見つけました。

『生誕100年・没後30年記念 戦中・戦後を彩った中原淳一の魅力』 (仮称)

という特別展が、九段の昭和館で開催されるようです。

2013/03/16 ~ 5/12 ← pdfでスケジュールがわかります。

昭和館の特別展は入場料が無料なので、是非とも!

ところで、こちらで記事にした内容ですが、

詳細は、

『生誕100周年記念 中原淳一展』

日本橋三越(東京): 2/6~2/18 (予定)
そごう美術館(横浜): 6/1~7/15
阪急うめだ本店(大阪): 7/24~8/5
刈谷市美術館(愛知): 9/14~11/3 (予定)
 以降各地巡回

となっています。(宝島社ブランドムック 中原淳一 より)

三越と刈谷市美術館は(予定)となっているので日程が変更になるのかもしれません。

しかし、昭和館の特別展は、三越とそごう美術館の間に挟まっているので、展示物が同じなのか、あるいは一部なのか、異なるものとなるのか・・・。(ただ、昭和館の特別展展示スペースはそんなに大きくないので)

いずれにしろ、あっしは(足をのばせば)三カ所は見に行ける(笑)

楽しみにしている方々、参考にしてください。

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2012.07.09

またまた画集など

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これも先月のことで、このエントリの後のこと。

再び神保町で高畠華宵や中原淳一関係の本を古書店で探していたところ、何冊か。

左下から、右上にかけて、

・竹久夢二・高畠華宵・蕗谷虹児 大正・昭和ロマンの画家たち (図録 古?円)
・女の部屋No.3 (古1000円)
・KOJI FUKIYA 蕗谷虹児展1992年図録 (古1500円)
・大正の音色・大正の灯・かぎりなき夢二の世界 竹久夢二伊香保美術館開館十周年展 図録 (古840円)

既に、手に入りやすい&価格がこなれている、というものは買ってしまったモノが多いので、なかなか難しい状況になっている(笑)
それはそれとして、一人ふたりの画家を追っていても、その時代には他にもたくさんの人がいたわけです。
最初は興味が無くて、目を向けなかったのですが、例えば今回の「大正・昭和ロマンの画家たち」でとりあげられている蕗谷虹児という人。画風でいえば、高畠華宵と竹久夢二を足して3で割って+αした雰囲気を持ったという感じなのです。(どちらかといえば華宵寄りの画風ですが)
さらに、驚いたのが、『花嫁人形』という詩を作ったのが蕗谷虹児なのでした。

 金襴緞子の帯しめながら…

というやつです。
多くの人が、その詩の一番だけでも知っているのではないでしょうか。

あっしはこの事実を知ってびっくりして、思わず画集を探して購入。(それが左上のもの)

実は、河出書房新社のらんぷの本シリーズにも蕗谷虹児と題する本があることには気がついていたのですが、手にも取っていませんでした。
なお、らんぷの本シリーズは、弥生美術館の企画展を書籍化していることが多いので、既にそういう企画展があったのかもしれません。


さて、今回の収穫で一番なのは、右下の『女の部屋』ですね。
この雑誌は中原淳一が最後につくった雑誌で、残念ながら病のために5号で終刊となってしまったもの。
今まで立ち寄っていなかった靖国通り沿いの、地下鉄駅近くにある間口の狭い古書店で見つけました。
(単なる古本屋だと思っていて、中まで入って品揃えを確認していませんでした(汗))

この雑誌、部屋といっても、インテリアの雑誌ではないです(笑)
なにしろ、最初のページをめくると、三島由紀夫のコラムですよ!
その他にも錚々たるメンバーがコラムを書いてます。(まだ読んでないけど)

中原淳一の雑誌つながりでは、神保町のBという古書店で、大量の『ひまわり』が置いてあるのを発見。
初めて実物を見たけど、雑誌としては薄っぺら(要するにページ数が少ない)で、紙質もあまりよくない。記事の活字は小さく、たくさんの情報を苦労して入れ込んでいることを窺わせる。
なんと、店頭価格は1号が2600円か2700円くらい。とてもじゃないけど気安く何冊も買うという気にはなれないなぁ。
あっしの中では、たとえば『中原淳一 少女雑誌「ひまわり」の時代』という本を読んだりすると、もう「伝説の」という冠詞がつくような位置づけなのであるが、実物を見て、ある意味がっかりというか、現代の雑誌からすれば、パンフレットといってもいいような。
(だけど、そのうち買っちゃうかも(汗))

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2012.07.07

中原淳一の本 またまた

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先月のこと。
よく行く水戸の本屋の美術関係コーナーをうろうろしていたら、ありました。
いずれの本も、神保町では見当たらないモノだったので、びっくりしつつ購入。

おしゃれの絵本 2800円+税
しあわせの花束 1524円+税
ひまわりみだしなみ手帖 1524円+税
二人のしあわせ 1600円+税

いずれも平凡社の新刊書。(発行年は古いが)
左側の大判の本は、ピーコさんがまとめたファッションスタイル画中心のモノ。
右側の3冊はコロナ・ブックスというシリーズの中にあるモノで、『中原淳一エッセイ画集』とタイトルがついている。
過去に編集していた雑誌の記事や挿絵をジャンルごとにまとめて再構成した感じになっている。

エッセイ画集をざっと読んでみて驚くのが、文章の多さ。
絵だけでなく、言葉でなければ伝えられないことが沢山あったからなのだろう。
少女向けから大人の女性向けの数々の雑誌においてもそういうスタンスで、なおかつ、読者はそれらを求めていたのだから、それらの言葉を吸収しようとする意気は現代よりも高かったと思われる。

中原淳一の本は、今でも流通している本が多く、比較的入手しやすくて、そういう意味では高畠華宵の絵よりも普遍性が高いのであろうか。あるいは、華宵の絵があまりにもその時代の雰囲気との親和性が高かったが故、時が経ると変化していく雰囲気と相容れなくなってしまったのだろうか。

おそらく、中原淳一が伝えたかったことが、絵と文章のセットで表現されていたからだと思う。
言い換えれば、メッセージを伴うことが明らかである絵であったことが。
逆に、華宵の絵にはメッセージを読み取りがたいところが多い。(「さらば故郷」などは別ですが)

加えて、あっしが最初に感じたように、二人の描く目に、視線に、そういったことが表れているのもあるんじゃないだろうか。

華宵の晩年に、見舞いに来た中原淳一に対して「目の表現」について語った、ということがあったとのこと。(「中原淳一の世界」図録、鹿野琢見文より)
方向性は違うのだろうが、この文章を読んだとき、あっしの最初の感想もあながち間違っちゃいないなぁ、と思った次第。


なお、今日本屋で美術コーナーに行ってみたら、もう在庫補充されていた(笑)
しかも、違う画集やひまわりの本が増えていた。
あっはっは。

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